久しぶりの投稿です。
元気です、生きてます

18日の日曜日に、
石川県小松市の第一コミュニティで開催された
#不登校は不幸じゃない
というイベントに参加してきました。
『学校に行かなくてもいい』
という本の著者 小幡和輝さんが発起人となって、
不登校経験者や当事者、
その家族などが集って不登校について考える、
昨年から始まったイベントです。
今年は全国100カ所以上で同時に、
石川県では金沢、白山、小松市の三会場での開催でした。
はじめに10分ほど、
小幡さんの全国に向けてのLIVE配信があり、
その後は、フリーで座談会。
小松会場は、
不登校の子を持つ親がわたし含め2人と、
主催者の方など少人数で、
色んなお話ができました。
学校に行っていようが不登校だろうが、
幸か不幸かは人それぞれ。
私は不登校自体に、
幸か不幸かという意味づけはしていません。
だけど、
不登校は不幸じゃない。
という言葉の背景には、
不登校は不幸、
または、
不登校は不幸になる、
という前提が固定概念として社会の中にある、
ということ。
不登校になったら将来終わり、
みたいなね。
その価値観の中にいる子どもや親は、
先の見えないトンネルの暗闇の中で、
不安を抱えている状態だと思う。
だけど、発起人の小幡さんのように
10年間不登校した後に定時制高校に通って、
在学中に起業したり、大学に進学した人もいる。
彼のようではなくても、
身近にいないだけ、知らないだけで、
不登校を経験しながらも、
大人になっている人はたくさんいる。
今見えているルート以外にも、
色んなルートがあるっていうこと、
それを知っていくことが、
トンネルの先の希望になっていく。
誰とも違った道を歩んだっていいんだし。
人は、そもそも多様な個性を持った存在。
みんな違って当たり前。
学校が良い悪いではなくて、
合う合わないがあって当たり前。
そんな前提で、色んな生き方、
学び方を選べる社会になっていったらいいな。
学校のために人がいるのではなくて、
人のために学校があるんだから。
どうしたら子どもたちが笑顔でいられるか、
どうしたら、その先の未来の大人たちが
笑顔で幸せな人生を生きられるか。
人にとって、やさしい社会のしくみや、
さまざまな個性を尊重し合える、
寛容な社会になるといいなと思う。
その前にできることは、
お母さんは、こどもの前に、
まず自分をごきげんにすること。
家庭が不登校の子どもにとっても、
親にとっても、
安心で居心地の良い場所であれば、
笑顔でいられるし、
生きていける。
生きていれば、
道は探していけるし、
切り開いていけるから。
