お久しぶりのブログ投稿です。
4月の西野亮廣さん講演会や絵本展については、
ブログに書く余裕もないほどに濃い日々を過ごしました。
昨夜はスタッフがひさしぶりに集まり、
当日見られなかった講演会の上映会をしました。
西野さんの生き方から、
正直に生きることを学びます。
正直に生きることで、
得られる信頼もあれば、ルールを守らないと非難され理解されず、失う信頼もあります。
ですが、自分に正直に生き続けるときに、
その生き方や考え方、言葉に共感共鳴し、
応援してくれたり、理解者や信頼してくれる人も出てくることを、生き方を通して見せてくれています。
ルールのために人がいるのではなく、
人のためにルールがある。
仕事のために人がいるのではなく、
人の幸福のために仕事がある、
と思います。
自分のあたりまえと感じているルールや正しさは、ほかの人のあたりまえに感じて持っているルールや正しさとは同じでしょうか。
国や地域、生まれ育った環境、
培ってきた信念、大切にしていることは、
みんなちがいます。
そこに善悪も、正誤もありません。
自分に正直に生きること。
それが一度きりのわたしという人生において
誰も責任を取ってくれることはできない
わたし自身の命を大切にするための選択です。
ほかの人のルールは尊重したいです。
ほかの人の考えや個性も尊重したいです。
それがわたしの大切にしていることと違うときは、自分が信じる道を進みます。
そこに誰かの大切なことを蔑ろにする意図はありません。
自分で自分がわからなかったり、
自分の心を捉えられずに揺らぐことで
関わるひとに迷惑をかけたり、
自分にとってもつらいことがあります。
自分にとって明らかに必要のないものに気づくことは誰にとっても容易なことですが、
良いものの中からより良いもの、
やりたいことの中からよりやりたいこと、
正直な気持ちのより深い、潜在意識からの本音に気がつくことや気づいて選択することが、それぞれが大切であればあるほど選択がむずかしいです。
自由に選択しているつもりでも、
過去に触れてきた情報や経験から無意識に出力される反応もあります。
世の中には素敵なこと魅力的なこと、
が沢山あります。
自分も家族も友人も、
大切にしたい人も沢山います。
わたしたちは毎瞬毎瞬、
無限の選択肢の中から選択を迫られています。
選択したことに自信が持てないこともあります。
ストレスや体調でも、認知や選択をあやまることもあります。
そこで抽象度をあげて未来の自分の望み、
こうだったらいいなを俯瞰してから、
現在地を確認すると、より今の自分にとって、
心を熱くするものが何かわかります。
気づいた地点からセンターに戻る。
そこからはじめる。
それがわたし自身にとっての正直さであり、
謝る必要があれば謝ることが誠実さです。
自分を生きることが自分を幸せにし、
自分が幸せでいることが、結果いつか誰かの幸せにも繋がって循環していくと思います。
自分を生きるとき、
時に理解されないことも軋轢もうまれます。
そこで過度に認めてもらいたい、
わかってもらいたいという思いは自分にとっても、相手にとっても呪いとなりストレスになりますね。
とても苦しく悲しいことがありました。
執着することで生まれる苦しみです。
それを手放すことが、
より人生を楽しく、感謝で満たしながら
幸せに生きるコツなんだなと思います。
自分も周りの選択も、感じ方も自由でいい、
と改めて自省します。
みんなちがってみんないい。
すべてのひとの命に祝福を祈ります。
すべての人の安心と平安を祈ります。
安心して自由に選択生きていい。
生まれてこれたことで経験できる、
学びの時間や、大切なひとたちに出会い
過ごす美しい時間に感謝します。
学びを与えてくれるすべてのあなたへ。
生まれてきてくれてありがとう。
ただ、いまは感謝と愛を祈り、
平和を望みます。
久しぶりにジムでボスの愛犬ロッキーと、
かわいい子どもたちに会いました。
無垢な存在の子どもたちのまっすぐな笑顔と腕が向けられて、とても心が癒されました。
彼らはわたしが正直であろうとなかろうとも
関係ないですね。
わたしがわたしであるだけでいい。
本来わたしたちは生まれながらに
そういう存在です。
そんなことを感じさせてくれる、
思い起こさせてくれる、
とても愛おしい存在です。
幼子に感謝です。
幸せな時間に感謝です。
みなさまにも、
平安なひとときがありますように。