「自立」
と聞くとどんなイメージですか?



自立した女性、なんて言葉にしてみると、
経済的にも精神的にもしっかりしていて、芯がありそうで、なんかかっこ良い。
まだまだ親に依存してる部分が大きいので、
憧れる〜!



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*辞書では
【広辞苑】
他の援助や支配を受けず自分の力で身を立てること。ひとりだち。

【大辞林】
他の助けや支配なしに自分一人の力だけで物事を行うこと。ひとりだち。独立。 

…と、あります。
微妙なニュアンスの違いがありますが、ほかもこんな感じ。




なにげなく検索して見つけたページ、
では、
英語で自立はindependenceと言い、依存dependに否定の接頭辞inをつけた言葉だということを紹介しながらも、ご自身が障害者で、東京大学先端研究所の専任講師でもある熊谷晋一郎さんという方が「自立とは依存である」と言っている、ということも紹介し、さらに具体的な例をあげていって、「自立とは依存先の分散なのだ」と書かれていて、なるほどな〜と、興味深い内容でした。





先月、「安息の日」というブログで、
日曜日の過ごし方を書きました。


集会は1時間ごとで区切られ、3時間のプログラムがありますニコニコ
そのうちの1つに、12〜18歳までの女の子対象のクラスがあり、そのクラス担当の大人として出席しています。

そこでは教会のさまざまな教えを学ぶ時間があります。


昨日は「自立するとはどういう意味でしょうか?」というテーマでした。


「自立」についてどんなことを言われているのか、ひとつの解釈として紹介したいと思います。


*手引きからの引用

自立とは、自分自身と家族の生活における霊的・物質的な必要を満たす能力であり、決意であり、努力である。会員が自立するとき、さらによく人々に奉仕し、助けを与えることができる。
教会員は自分自身の霊的・物質的な福利に関して責任がある。それぞれに選択の自由という賜物が与えられているので、自分の進むべき道を決め、自分自身の問題を解決し、自立するように努力する特権と義務がある。

*テキストから引用
自立している人は、神がお与えになった祝福や能力を活用して自分や家族を養い、問題の解決方法を自分で見つけます。自立するにつれ、わたしたちは人によりよく仕えて気遣うことができるようになります。主はわたしたちに、霊的・物質的に自立するように望んでおられます。


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テキストを読んで、
選択の自由という賜物により自分自身で考え、神様からいただいている祝福や能力を活用し行動することで、自分、家族を養い、問題解決ができるようになり、自立度が増すにつれ人々に奉仕することができる、というのを思い浮かべたイメージ図(笑)


霊的・物質的というのが特徴だけど、信仰面や、心身の健康・教育・職業…などなど自立を勧められていることがらがあります。
時折あれもこれもしなきゃ、あれもこれも足りない、という思考に陥って、私はダメ人間だ!と落ち込むことがありますがそういうことじゃないんですよね(^^;;



青少年向けの小冊子があります。
*労働と自立の項のある一節では、

自立とはあらゆることを自分一人の力で処理できるという意味ではありません。
真の意味で自立するには、人々とともに働くと同時に、主に頼り主の助けと力を求めることができるようにならなけれなりません。

…と、ありました。



昔の私は、成人したから、結婚したから、自立しなきゃ!頼っちゃダメだ!と変に気負って結局心身の調子を崩してしまったことがあって、自立することはすべて自分でできるようになることだっていう勘違いがあったな〜と思います。


人がみんな同じであれば、存在にあまり意味を感じられないというか、互いに必要ではないような、味気ない気がします。
私たちは、ひとりひとり違っていて、私の得意が誰かの苦手、誰かの得意が私の苦手だったりします。
すべて自分一人で行わなくても良いんだな。
手と手を取り合えばいいんだな〜。
自分を満たしていけば、誰かに手を伸ばすことができる。自分の足りなさを素直に認めて助けをこえば、誰かの手を受け取ることができる。
自立していくことは、愛の循環かな、と思ったのでした。






昨日投稿しようと思ってたら、
寝ちゃった〜笑い泣き


おはようございます。
訪問してくださり、ありがとうございますラブラブ