とんぼのめがねは みずいろめがね
あおいおそらを とんだから
とんだから
とんぼのめがねは ぴかぴかめがね
おてんとさまを みてたから
みてたから
とんぼのめがねは あかいろめがね
ゆうやけぐもを とんだから
とんだから
とんだから
とんぼのめがねは ぴかぴかめがね
おてんとさまを みてたから
みてたから
とんぼのめがねは あかいろめがね
ゆうやけぐもを とんだから
とんだから

実際のとんぼの瞳の色は
とんぼの種類によって違うのでしょうけど、
とんぼの種類によって違うのでしょうけど、
この有名な童謡では、
青いおそらを飛んだから水色
おてんとさまをみてたからぴかぴか
夕焼け雲をみてたからあかいろ
とありますね
眼鏡と表現しているように
レンズに空の色や太陽の光、
夕焼けの色がそのまま映されている
レンズに空の色や太陽の光、
夕焼けの色がそのまま映されている
めがねはめがねでも。
日本語には、
「色眼鏡」
ということばがあります
偏った物の見方、
先入観にとらわれた物の見方。
「色眼鏡 で人を見る」という言葉でよく使われますね。
最近は携帯からブログを見ることが多かったのですが、
久しぶりにパソコンを開いたついでに、
2012年に書いたブログ、 「ありがとう。」
の文章の途中が文字色が変わっちゃっていて
気になっていたところを編集していて、
また思いを巡らしていました
最近は携帯からブログを見ることが多かったのですが、
久しぶりにパソコンを開いたついでに、
2012年に書いたブログ、 「ありがとう。」
の文章の途中が文字色が変わっちゃっていて
気になっていたところを編集していて、
また思いを巡らしていました
*
わたしたちはときどき、もしかしたら多くの瞬間、
自分の考えで相手を裁いてしまっていること
誤解していることがあるかもしれません。
自分を正当化して納得させているかもしれません。
誰もが間違いをし、
皆、、傷ついた事があり、傷つけたことがあります。
今もゆるせない人がいるかもしれません。
なにか問題に直面したとき、
目に見えたことは真実なのか、
怒りを正当化していないか、
違う角度で物事を見ることも大切だなと改めて感じました。
*(ブログ抜粋)
この言葉を、
ときどき自分の中で思い返します。
今の自分はどうだろうと。
むやみに誰かを色眼鏡で見て判断してはいないか、
むやみに誰かを傷つけてはいないのか、
逆に傷つけられたと思ってはいないだろうか
それは本当に傷つけられたのか、
勝手に傷ついているだけではないだろうか
子供のころ、保育園の坂道の上にあった小学校の
屋上の茶色いタンク?が「熊」に見えていました(笑)
注射が何十センチも太いものに見えたこともありました。
帰り道に見かける犬が異常に大きかったり
(本当に大きかったのか謎)、
子供の目から見て、
ある物体が実際のものと違って見えることもあります。
目の前で起きていることが、
見えていても意味のわからないこともあります。
大人になるにつれて、
正しく大きさを認識できるようになったり、
意味のわからなかったものが分かるようになります。

大人になると自分が正しく思えるようになるけど、
こどもであってもおとなであっても、
目に見えることと真実が違うことがある。
星の王子さまにキツネがいいました。
「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。
かんじんなことは、目に見えないんだよ」
大切なことは目に見えない、
だから心で見よう。と、
だけどそこで気をつけなければいけないのが
その心の状態がどうであるかによって
見えることが違ってくるということ
見えないものを見ようとするのだから、
そこには何かしらのフィルターがある
とんぼのめがねのように
透明なレンズ越しにみているのだろうか
コンタクトやメガネが汚れていると
綺麗に見えていたものがぼやけてみえる
サングラスをかけると周りの景色が暗く見えるように、
もしとんぼのメガネがサングラスだったら、
おてんとさまをみてもぴかぴかには見えなかったでしょう(笑)
色のついたメガネをしていたら、
混ざり合って、本当の色ではない色を見ることになるでしょう
わたしのめがねは、
なにいろか?
自分の経験、知識、先入観、
レンズをくもらすものはないか?
自分にとって都合の良い色のレンズにしていないか
そんなことを、
童謡とともに考えるのです
その判断は瞬時にしてしまっていて、
殆どの場合いちいち気に止めることのない
瞬間瞬間の無意識の連続
だから、ときどき立ち止まって自分の状態を
フィルターなしに感じてみたいと思う
あなたのめがねはなにいろですか?