うちの親は、自分の家族ではなく、家族がいる自分、つまりは親でいさせてもらっているという肩書が好きなのだ。
子供と一緒にいるのが好きなのではないため、例え私が病気で家で寝ていても、昼間は外に出て行ってもらわなければ邪魔だと母親は不機嫌になる。自分なりの「母親」という肩書を納得できる分の仕事以外はしたくないのだ。
父親も、奥さんのご機嫌をすくねる子供がいると、怒り出す。
結局、自分たちの要求を満たさない子供がいると不幸になるという、自分の機嫌を自分で取れない人たちなので、彼らと一緒にいると私まで不機嫌になる。何も悪いことしてないのに。
うちの家族というのは、このとおり、家庭という名の職場だった。
こんな家庭が代々続いている一族で育ったので、自分が35歳になる位までは、家庭なんてひどいものを作ってたまるか、一生独身でいてやると思っていたものだ。
最近は、自分で家庭を作ってやろうと思ったりするのだが、それは、親よりも優れた親になりたいという欲求であったことに他ならない。そのために利用された子供たちというのはまた私のような不幸を連鎖させるだろう。
子供っていうのは、何も自分の膣から出てきた存在だとは限らない。未熟な親もガキだし、見渡せば世の中ガキな爺婆もいくらでもいる。そして子育てとは、自分の親のようなものをはじめとした彼らの甘えを満たしてあげることなんだろうなって思った。
私だって、本当は私といるだけで幸せになってくれるような人とつながりたい。人の幸せを喜べる人間になりたい。
それは、もしかすると自分の家庭という形をとらないかもしれない。
愛というのが、どういう形になるのか、わからないのである。