人によく見られたいとか、人からこう見られたいみたいなものっていうのは
一言でいうと「見栄」らしい。(漫画「天人唐草」より)
勿論、「見栄」が強くても、病気にならない人はならない。
そういう意味では、確かに医学で言われている通り、精神疾患自体の原因は、半分は遺伝(体質)であり、半分は環境である。
だが、10年位作業所とかデイケアで精神疾患の人たちを見ていると、躁鬱も、依存症とか、うつとか、色々いるけど、なんか共通して見栄が強い人が多い。
私は能力主義的な価値観が強いのだが、未だに人間という生き物は脳が発達するとテレパシーに近い何かを持つという妄想があり、それができない自分が責められる類の幻聴というものが聞こえてくる(統合失調症ね)。それも、もとはテレパシーに近い能力があるように見られたいとか、またそれに準ずる能力の存在を知っていると誇張したいというところから来ている。
依存症という名前がついたとすると、能力・肩書依存症といったところか。
「無能感」というものが多分私のコンプレックスなのだろう。
その能力があると見られたい「見栄」が精神疾患という形で苦しみを与える。
精神疾患は親が与えた環境要因が原因と言い切っている本もあるのだが、仮に事実だったとしても、その「見栄」が薄らいでいけば、その環境を生み出す人たちとは自然と距離ができるものだ。
「見栄」は、次第になくなっていくものなので、一度精神疾患にかかってしまえばすぐに治ることはないのだ。
そして多分、その見栄という類のものは、自分で治したいと思うほどナルチシズムのどつぼにハマって悪化していくものなのだろう。
結局、成るようにしかならないというのが私の結論だ。
精神患者っていうのは波があるから、調子が良ければこういうことを言ってられるが悪い時は、私の場合だとテレパシーを身につけようだとか、思って色々努力したりするのである。
ただ、親の教育というのか、前時代的な教育というのか、すべきの強要が強い家庭の「立派な会社に入ってスペックの高い人と結婚する」とか、その逆のやりたいことを強要する家庭の「やりたいと思ったことをやらなければならない」みたいなもの自体が病気を良くすることは決してないので、そういうのは鵜吞みにしないほうがいいと。