阪神淡路大震災の後 | 間質性肺炎になった母と、時々子育ての事

間質性肺炎になった母と、時々子育ての事

大好きな母が間質性肺炎になりました。
ネットには怖い事がたくさん書いてありますが、頑張って病気と闘っている人はたくさんいます☆
可愛い息子が2人います。兼業主婦です☆

大震災の後
その日は無事だった車の中で1日寝ることにショック!

その後は引越しをするまでの1ヶ月
家族ぐるみで仲良くさせて頂いていた母の友人の家にお世話になりましたひらめき電球

学校もしばらく休んでいました
通っていた中学校は、自宅から3駅ほど離れていて大阪よりだったこともあり友達は皆無事でしたニコニコ


電気は比較的早く復旧したのですが
なかなか水が出ませんでしたダウン
お風呂なんてもちろん入れませんしょぼん


みんなで、給水車に水を汲みに行ったり
井戸の水がでるお宅が水を提供してくれていたので、近所の人達はそこで食器をあらったり
真冬でしたが、井戸の水で頭だけでもとシャンプーを持って洗いに行ったりしましたあせるあせるあせる

そりぁあもう、冷たいし、寒いし汗
でも洗いたいんですよねショック!


しばらくして復旧が早かったお宅にも、みんなでお風呂にお邪魔させてもらいに行ったりしましたアップ


母の姉は車で四国から、食料品やいろんなものを持ってきてくれたり
学校の友達も親と一緒に、何駅分も歩いて食料をとどけに来てくれましたニコニコ


本当
皆の暖かさに救われました合格合格合格合格
感謝感謝ですドキドキ


そんななか、やはり悲しい事もあって、
全壊・半壊した家に盗みに入る人が出ていて…我が家の裏庭にも焚き木の跡があったりしましたダウン


自分たちで、思い出の品や貴重品を取り出したかったけど、そんな事ができる状態じゃなくあせる

後々、家を取り壊す業者さんに入ってもらった時に
取れるものは取りにいきますよ
っと、言って頂き、
アルバムと金庫を取ってきてもらえましたチョキ
すごくありがたかったですアップ

おかげさまで、結婚式のプロフィールムービーも後々流す事ができましたチョキ

金庫も全壊していた二階にあったこともあり、盗まれず無事にありました目


取材なんかに来ている方に出くわしたこともありました
全壊した自宅の前にいた時に
「この家も一応撮っとくかー」と言われ、何気ない一言だったのでしょうが、
中学生だった自分はなんだか悲しみと憤りを覚えましたしょぼん


悲しい事もあったけど、
でも思い出すのは、まわりの皆の温かさや優しさの方が何倍も何十倍もありましたアップ


あの時の感謝の気持ちを忘れないよう
困った人がいたら手を差し伸べられる大人になれているのか…
まだまだこれから恩返ししていかなければいけませんニコニコパー