その日は無事だった車の中で1日寝ることに
その後は引越しをするまでの1ヶ月
家族ぐるみで仲良くさせて頂いていた母の友人の家にお世話になりました
学校もしばらく休んでいました
通っていた中学校は、自宅から3駅ほど離れていて大阪よりだったこともあり友達は皆無事でした
電気は比較的早く復旧したのですが
なかなか水が出ませんでした
お風呂なんてもちろん入れません
みんなで、給水車に水を汲みに行ったり
井戸の水がでるお宅が水を提供してくれていたので、近所の人達はそこで食器をあらったり
真冬でしたが、井戸の水で頭だけでもとシャンプーを持って洗いに行ったりしました
そりぁあもう、冷たいし、寒いし
でも洗いたいんですよね
しばらくして復旧が早かったお宅にも、みんなでお風呂にお邪魔させてもらいに行ったりしました
母の姉は車で四国から、食料品やいろんなものを持ってきてくれたり
学校の友達も親と一緒に、何駅分も歩いて食料をとどけに来てくれました
本当
皆の暖かさに救われました
感謝感謝です
そんななか、やはり悲しい事もあって、
全壊・半壊した家に盗みに入る人が出ていて…我が家の裏庭にも焚き木の跡があったりしました
自分たちで、思い出の品や貴重品を取り出したかったけど、そんな事ができる状態じゃなく
後々、家を取り壊す業者さんに入ってもらった時に
取れるものは取りにいきますよ
っと、言って頂き、
アルバムと金庫を取ってきてもらえました
すごくありがたかったです
おかげさまで、結婚式のプロフィールムービーも後々流す事ができました
金庫も全壊していた二階にあったこともあり、盗まれず無事にありました
取材なんかに来ている方に出くわしたこともありました
全壊した自宅の前にいた時に
「この家も一応撮っとくかー」と言われ、何気ない一言だったのでしょうが、
中学生だった自分はなんだか悲しみと憤りを覚えました
悲しい事もあったけど、
でも思い出すのは、まわりの皆の温かさや優しさの方が何倍も何十倍もありました
あの時の感謝の気持ちを忘れないよう
困った人がいたら手を差し伸べられる大人になれているのか…
まだまだこれから恩返ししていかなければいけません