こんにち

ゆきみだいふくです赤ちゃんぴえんにっこり



インフルエンザ大流行😷

やばみの里。


なんかやたら増えました


そして私も頭と体痛い(終わった…)
通院します。仕事行ってから←やめてもろて


さて本日は〜

生きるのがしんどいな〜って

ときとか

これから先のことが不安…って

ときに


私がよく考えてること

それは

この世界は頭の良い人が頭の悪い人のために作ってる

ってこと。


不安だな、しんどいなと

感じるとき、

私はだいたいだけど、

理想とする自分と、現実のじぶんが

乖離している状態でいることが多く


つまり、

もっと上手くやりたいのにできない、とか

もし出来なかったらどうしよう、とか

人に迷惑をかけたらどうしよう、みたいな


良しとして許可できる自分の姿



許容できない排除したい自分の姿


が自分の中に両方いる時

その不安感が起こる。


多くの人は(過去の私も含め)

ここで、

許容できない自分、許せない自分を

押し込めて排除しようとする、

良いと認められる自分の姿に

近づこうと努力するんだけど、


それでうまくいくときと

いかないときがあるんよねー


上手く行かない時は、


あなたに排除されそうになっている自分が、

「ここにいるからちゃんと見て!!!」

と声をあげている時。


つまり、

どう頑張っても認めたくないような

「仕事ができない私」とか

「愛されない私」とか

「人に迷惑をかけるクズな私」とかが

存在したい!と強く願っているときです


しかも排除されそうになってるから

より強固にそこに居残ろうとするww


それが不快感や不安感の正体かなあと

私は考えてます。


で、

はじめの話に戻ると、

そこからなぜ

頭の良い人が頭の悪い人のために世界を作ってる

に繋がるのかというと、


まこれは私の感覚になるのだけど←


私には

頭が悪いやつと思われたらどうしよう

役立たずと思われたらどうしよう

そういう不安がずっとあったのです。


そこにはつまり

私の在りたい姿→頭の良い人

私が排除したい姿→頭の悪い人


というのがあるのが見えて、

突き詰めて行くと、

頭の悪い人はこの世にいなくていいよ。

っていう信念が私にはあった驚き驚き(ひどい!)


そこを書き換えて、


いやそもそも、

私は頭が悪いんだ。ということをまず認める。


そして、頭が悪くても、この世に存在していい、ということを知る。

(そもそも何を基準に頭がいい悪いを判断するのかって話だし)


なぜなら、

この世の大半は別に頭の良い人じゃなくて、頭が悪いとか普通の人。

一部の頭の良い人が、一生懸命に今まで生きて、みんなが生活しやすいように場を整えてくれた。

だから私はそこにいて良いし、

分からないことは分からない。と言った方がいい。

だって頭の良い人には、頭の悪い私がどこでつまづくかは分からないのだ。


ほんとーに私が頭が良かったら、

今目の前にあるiPhoneの仕組みが手に取るように分かるはずだし少なくとも知りたくなるはずだ。

私は、頭の良い人が整えてくれた結果だけを享受している。


愛をありがとうにっこり優しさをありがとう飛び出すハート