私は、昔、ある本と出合いました。運命的に出会った、とてもステキな本。
五日市さんという男性が講演会をし、それをテープにとってそれが回りまわって本になった。
そして、今私がこれを読んでくれる皆に受け渡す。
本にした人が言っている。
繰り返すことのできない人生を、感謝と喜びに満たされて 明るく・大らかにプラス思考で生きるということを知れた。自ら話す言葉が自分自身や周囲の人達に大きな影響を及ぼすということ。
そして言葉そのものが私達の人生を創っていくというこを。。-省略ー
では、全部書ききれないかもですが、必ず書きますので、読んでもらえた嬉しいです。
ツキを呼ぶ魔法の言葉 五日市 剛
<はじめに>
昨年、あるプロのコンサルタントの講演を聞く機会がありました。その方の話によりますと、日本で毎年新しく設立される会社は、だいたい八~九万社くらいあるそうです。 ところが、三年後にはそのうち四十%は倒産という形で消えてなくなるらしく、さらに五年経つと八十%はなくなってしまうそうです。
そこで、そのコンサルタントがそれぞれの社長さんに、「勝因は何ですか?」「敗因は何ですか?」と聞いてみたそうです。すると、生き残った社長曰く「運が良かった」、倒産した社長は「運が悪かった」。
みな、運、運と言うのですね。それでは運というのはいったい何なのでしょうか。
まぁ、本質的なことは僕にはよく分からないんですけど、実は、本当に簡単なことでツキというのを手にすることができる。
ツキっ放しになっちゃう。 今日はそんな不思議な話をさせて頂きたいと思います。
<イスラエルのおばあざんとの出会い>
僕は二十八歳まで学生生活を送っておりましたが、二十五歳くらいの時、あることがきっかけで中東問題に興味を持ちました。
理工系の学生なのに、イスラエルやアラブ諸国の諸問題、特に民族問題が気になりましてね、日に日にハマっていったわけです。それで、どうしてもイスラエルに行きたいなぁ~と思い始め、とうとう湾岸戦争が起こった年の冬に、イスラエルへ行くことになったのです。その時の経験がきっかけで、僕の人生がガラっと変わってしまいました。ちょっと御伽話みたいな話なんですけど、本当にあった話なのでどうか聞いてください。
湾岸戦争があった年の冬、クリスマスの数日前に、日本を発ってイスラエルへ向かいました。一ヶ月間という長い旅行です。大きなリュックを背負い、ジーパン姿で向かいました。イスラエルというと、とても暖かい国のように思うかもしれませんが、その年はなんと数十年に一回あるかないかという大寒波の年で、旅行中にドカ雪まで降りました。そんなこと、現地へ行って初めて分かったので、本当にまいりまいした。
薄着だったので、寒くて、毎日ぶるぶる状態でした。
クリスマスの日の夕方に、ハイファという港町に着きました。 イスラエルの中では大きな都市でして、有名な港町です。バスを降りた瞬間、「うわ~寒いなぁ~」という感じで、まずホテルを探し始めました。
「早く、暖かい部屋でのんびりしたい!」ところが、あちこちホテルに行ったものの、どこへ行っても閉まってるんですね。その港町にホテルやユースホテルはたくさんあるのに。どうしてだろう?
時間がどんどん過ぎていって、夜七時、八時、九時、、、、外はものすごく寒いんですよ。
ハイファには、誰も知っている人はいないし、一人旅行だし、ひどく心細くなりましてね。
「俺って、もうここで終わりかな?」なんて、縁起でもないことを考えちゃいました。できるだけ明るいにぎやかな通りを歩こうと思いながら、肩をガクっと落としてトボトボ歩いていました。
にぎやかな通りも、夜遅くなってくると灯りがだんだん消えてきましてね。本当に心細くなって、本気で
「もう~駄目かなぁ~」と思ったその時に、一人のニコニコしたおばあさんが僕の方へ近づいて来たんです。
「どうしたんですか?顔色が悪ですよ」 と英語で話しかけてきました。
イスラエルのユダヤ人は英語がけっこう上手でしてね。
「日本から来た者なんですけど、、泊まるところがないんです」 それから五分くらい話をしたでしょうか。
そのおばあさんは微笑んで、
「よかったら、私の家へどうぞ」 と言いました。 いやぁ~、驚きました。
僕たち、日本にいても、同じ日本人にだって、そんなこと言いませんよね。だけど、そのおばあさん、見ず知らずの外国人の僕に、私の家へどうぞって言うんですよ。 僕もさすがにちょっと構えましてね。
すぐに「うん」と言わずに、「もうちょっとホテルを探してみます。それで、もし見つからなかったらおじゃまするかもしれません。その時はよろしくお願いします」と言って、紙に住所と簡単な地図を書いてもらい、その後タクシーに乗ってホテルを再び探し始めました。でも、結局、どのホテルもみんな閉まっていて、営業しているホテルは見つからなかったんですね。
もう、おばあさんのところへ行くしかないなぁ~と思って、勇気を振り絞っておばあさんの家に行ったんですね。
おばあさんの家を見て、唖然としました。
その家は外壁の一部は草で覆われていましてね。驚いたことに窓がないんですよ。
(翌日、明るくなってからまた見たんですけど、確かに家の外には見かけ上、窓はあるのですが、家の中にはどこにも窓がないんですね。まるで棺桶みたいな家)それで、玄関が少し高いところにあり、階段をちょっと上がるとドアボタンがありました。ドキドキしながら「ピンポン」とボタンを押したんですね。
すると、押すや否や、すぐにドアが開いて、 「お待ちしておりました」
とおばあさんが出てきました。 ヒャー、心臓が飛び出るかと思いました、もう驚いちゃって。
おばあさんはドアのところにいて、待っていたんでしょうね。
「どうぞ、どうぞ。 寒いでしょ。中へどうぞ」 「は、はい。お、おじゃまします」
外は本当に寒くて、手が凍えてね。でも家の中はとっても暖かい。驚きはしましたけど、救われたおもいでいっぱいでした。おばあさんは、「スープがあるわよ、食卓へどうぞ」と言うので奥へ入ると、丸いテーブルがあり、本当にスープが二皿盛ってありました。あばあさんと僕の分なんですね。そのスープ、口に含むと熱いんですよ。とっても美味しいし。 ということは、・・・・待てよ、おばあさんは一人暮らし。やはり事前に二人分つくって、二人分皿に盛って、その後玄関に行って僕を待っていたのかなぁ?
なんて考えていると夜も眠れなくなりますよね。もう、そんなこと考えるのは止めようと思いました。
スープを飲みながら、おばあさんと二人でいろいろな話をしました。
といっても、僕はほとんど聞き役でしたね。 でも、知らない人を自分の家に泊めるんだから、普通は僕の事をいろいろ聞きますよね。 僕は自分の名前と日本から来た大学院の学生と言っただけで、自分についてほかの事は何もしゃべりませんでした。おばあさんはひたすらご自分のことばかり話すわけです。
本当に穏やかな、ニコニコした方でしてね。
「私は、ドイツから来たユダヤ人なのよ。だから、戦争中はけっこう大変だったの。主人は大学で数学を教えていたの。三年前に亡くなってね。息子夫婦は、隣町に住んでるのよ。 私の趣味はね、、・・・・」
おばあさんは、僕の事は本当に何も聞かなくて、ただ、僕の目をじっと見つめながら話をするんです。
どうも時々、自分の心が見られている気がして、恥ずかしいというか、妙な気分でした。
だから、僕は時々、視線をそらしてしまいました。 そんな不思議な雰囲気のおばあさんでした。
家の中を見ると変わった飾りや絵が掛けてあって、ユダヤ教の影響かな、と思いました。
時計を見ると、もうだいぶ遅くなっていまして、おばあさんは
「今日はもうおそいですから、おやすみになって下さい。こちらの部屋にベットメイキングしてありますから」
「おばあさん、いろいろありがとう。それじゃ、おやすみなさい!」
ということで、ベッドのある部屋に入りました。
ベッドの枕元には、一人の少女の絵が飾ってありました。その絵がとっても不思議で、目元がボア~ンとぼやけていましてね、見ていると魂が吸い込まれそうな、この世のものとは思えないような絵でしたね。
そんな部屋に泊めていただきました。
続きは < おばあさんの贈り物 > から書いていきます。
