#熱中症の経験 | まるぶろ

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思うこと、感じることを徒然に。


 

 娘が小学五年生の頃だから、もう20年くらい前の話です。

当時私はPTAの部長をしてました。

「文化研修部」。

他校では「文化部」と「研修部」は別々なんですが、人数の少ない娘の小学校では統合されちゃってました。

なので仕事が2倍。校内の活動はまだしも、校外の活動は2つの部に参加しなきゃいけないので辛かった。


例年年度末に部費が余っていると繰り越していたんですが、私が部長になった年から「繰り越し禁止」となりました。

全て使わなきゃいけない。

ってことは、大きな花火上げなきゃ使い切れない。


花火は3つ決めました。

一つはピアノとチェロのコンサートを体育館で開くこと。

プロの演奏家を招いてのコンサートなので、部長の私はマネージャーみたいなこともしなきゃいけなかったし、全学年の子どもたちからの感想文に目を通さないといけなかったしでへとへとに。


二つめは鳴門の大塚国際美術館親子鑑賞。

この時は大型タクシーの予約がうまくいかず、前日まで走り回りました。

 でも、そこで熱中症にはなりませんでした。


熱中症になったのは夏休みイベントでした。

 


 


熱中症の経験

「まるさん、夏休みのPTA行事、プール大会は流し素麺もするから、素麺の段取りよろしく!」とPTA会長から言われました。

竹は会長。素麺は私。

素麺を茹でるのは小学校の家庭科室ですが、使用許可は下りたものの、夏休み中のエアコン使用は許可がおりず。


プールで遊んでゲームして景品もらって、その後の流し素麺だから、全校生徒ほぼ出席です。

いくら人数が少ないと言っても200人くらいの素麺を茹でなきゃいけない。

部員全員汗だくで作業。


終わって片付けて家に帰ってジーンズを脱ごうとしたら、脱げない。

汗でへばりついてじゃなく、目の焦点が合わなくてジーンズにうまく手がかけられなかった。

鏡見たら、黒目が右は上、左は下になってました。


「なに、なにこれ。どうしたらいいん?」と焦るもどうしようもなく、その後気持ちが悪くなって布団にダイブ。


今から思うとあれが熱中症だったのだけど、当時は「熱中症」という言葉はありませんでした。

ただただオロオロして気持ち悪かった。


後日聞いたのは、会長が途中で帰宅していたこと。

朝から竹を切り出しに行ってトラックに乗せて運んで、流し素麺のために竹をつないで…と休みなく働いてた会長も気分が悪くなり立っていられないほどだったと。


今なら水分補給もするし、ひんやりネックも付けて熱中症予防に余念はないはずだけど、当時は水すら飲まなかったんですよね。

無謀だったなぁ。


子どもたちの中に具合が悪くなった子がいなかったのが唯一幸いでした。