昨日、コンビニで買い物をしました。
昼食後に軽く甘いものを食べたいと思って、クレープを買ったのです。
レジの際に、私は店員さんの表情や態度、振る舞いを観察していたりします。(嫌な客ですね)
その時の店員さんは、50代くらいのおばちゃんで、もしかするとそのお店のオーナーの奥さんといった感じの方でした。
買おうと思ったクレープをレジに持っていくと、まず、「いらっしゃいませ」。
その後、なんと言ったか、あまり言葉は覚えていないのですが、商品を受け取ったそのおばちゃんは、レジを打ちながら、入ってくるお客さんが目に入ったのか、レジを見ながら「いらっしゃいませ!」と言っていたのが印象的でした。
入店するお客さんを全く見ていないのです。
それとレジを済ませた私に対しても
「ありがとうございました」
と言うのですが、全く心に響きません。
よく、コミュニケーションはキャッチボールに喩えられますね。
その時の様子を例えると・・・
投げようとしている相手をよく見ていないので、距離感がつかめずに、ボールに勢いがなくて、途中で落ちていく感じ。
「ありがとうございました」という言葉が、全く伝わってこないのです。
もし、そのおばちゃんが、オーナーさんだったとしたら、そこで働く店員さんたちは、何を学ぶのだろうと思いました。
なぜ、このようなことを述べたかというと、先日、ある月刊誌を買って読んだからです。
その月刊誌には、知り合いが記事を投稿していました。
それを読ませていただいて、「ほんと、そうだな!」と思ったのです。
どんなことが書かれていたかというと・・・
その前に、知り合いとは、アドラー心理学を学んだ際に、共に学んだお仲間です。
SMILEという親子関係を扱った講座を皮切りに、いくつかの講座をご一緒させていただきました。
そしてアドラー・カウンセラー養成講座でも時間を共有させていただいています。
いわば、その方に対しては同級生のような感覚があります。
さて、この方は、複数の民間企業で働いてきたなかで、身にしみてわかったことがあると言います。なんだと思いますか?
それは、「ありがとう」といえる大人が少ないことなんだそうです。
少し引用させていただきますね。
お茶も、コピーも、請求書の作成も、荷物運びも、会議室の片づけも、プレゼンの資料作成も、できていてあたりまえ。仕事だから。ちょっとの無理は給料のうち、なんでいちいち「ありがとう」なんて言うの? 別にありがたいことなんかじゃないでしょう?
そんな意識がアスファルトのガムのようにべったりとへばりついて、どう考えても本来の業務から離れた行為や気配りのサービスに対しても「ありがとう」と言えない大人たちが多すぎる、ということに気づかされる。特にこれは男性が圧倒的に多い。
かなり耳が痛いという方も多いかもしれません。
そしてこう問いかけます。
ファミレスやコンビニ、ファーストフード店などで、店員の「ありがとうございました」に対して「どうも」だけで返している人が一体何パーセント存在するだろうか?
これをお読みのあなたは、いかがでしょう?
そしてこんな鋭い疑問を投げかけます。
外で感謝の言葉を口に出せない大人が、家庭の中ではパートナーや子どもたちに向かって「ありがとう!」「助かるよ!」とさわやかに声かけをしているだろうか?
確かに外でできないのであれば、家族に向かって「ありがとう」と声をかけるこ子は、難しいかもしれませんね。
そして、そんな親御さんの姿を、子どもはじっくりと観察しています。お父さん、お母さんの姿を見て、子どもは何を学ぶでしょうか?
もし、「ありがとう」と言ったとしても、コンビニもおばちゃんのように形だけだったらあまり意味がないように思います。
子どもに心からの「ありがとう」と言ってほしかったら、まず、大人が実践する必要がありそうです。
ちなみに、月刊誌とは、「児童心理」3月号です。
3月号の特集は、「ありがとう」が言えない子。
その雑誌には、原田綾子さんや文教大学の教授、会沢信彦さんもアドラー心理学の観点から「ありがとう」に関わる記事を書かれています。
それと知り合いとは、この方
です。
ナガトウさんもアドラー心理学の観点から、「ありがとう」の問題を扱っています。
最後に、一言。私は、コンビニやスーパーで買い物をして、レジをすませると「ありがとうございます」と言うことが多いです。