私が間近で銃を見たのは、これまでに2回だけだけど、どちらも小さいものではなくて、大きなものだった。ネットで調べたけど、大きな銃を何と言うか分からない。戦争のニュースで見るようなもの、と言ったら、伝わるだろうか。

 

1度目に見たのは、スウェーデンで、だった。

 

その時は現地友人の実家に居候させてもらっていたのだけど、ある日、今日は面白い友人に会わせてあげると言われ、付いていった。

 

行く道で、面白い友人がどんな人なのか教えてくれたのだけど、同じ年、つまり20歳そこそこで生活保護受給者であり、コーヒー中毒で1日に5杯飲まないと駄目。

1度、朝コーヒーがない時があって怒り出したんだよね〜。

 

と楽しそうに思い出を話しているのを聞いて、え?その人大丈夫なの?この年で生活保護受給って、普段何してるの?

 

(生活保護受給者に会ったことがそれまでなかったので、病気で臥せていて、生活に困窮してヨロヨロになっている人のイメージしか当時は浮かばなかった。その上更に怒りっぽいって。。。と思った。)

 

と不審感たっぷりに問うと、

 

大丈夫だよ!彼女もいてね、仲間内では一番忙しくしててね、予定合わせてもらうのも大変なんだよ。

 

などとフォローする。

 

それでも警戒しつつ、"面白い"と言う友人宅に着いた。

 

北欧でも大変スタイリッシュな、さっぱりした集合住宅の一室で、出てきた"面白い"友人も爽やかだった。

髪は短くカットされた白人で、高身長で細身の身体に白シャツに黒いパンツが決まっている。

確かに、彼の他の友人達(その前に会わせてもらっていた)の中で1番イケメンで爽やかだった。

 

とても生活保護を受給しているようには見えない。

見るからにとても元気そうで、身だしなみにも気を遣える好青年が、なぜ仕事をせずに生活保護を?と頭の中がこんがらがってしまった。

 

兎に角、挨拶して、お互いに紹介して、部屋を見せてもらい、近況を話しているのを少し聞いていると、じゃあ例のアレ、お願い、と私を連れてきたスウェーデン人が言う。

 

分かった、じゃあ目を瞑って、と"面白い"友人が言うので、なんで?と私は聞くも、いいからいいから、と二人の白人大男たちに言われ、目を瞑って手で覆う。

 

本当に目を瞑ったか念入りに確認された後、"面白い"友人が歩き回っているような音がして、なんだかカチャカチャ金属が触れ合う音がするなあと思うと、目を開けて良いと言われる。

 

言われるままに目を開けると、テーブルの上に、大きな銃が乗っていた。

 

更に頭がこんがらがった。

 

確認すると、たまは抜いてあるから大丈夫だそう。

 

そして教えてもらったのは、"面白い"友人は、徴兵に応じたこと、更にその後市民兵として登録しているので、部屋の中にいくつかのパーツに分けて分散して銃をしまってあること、その場所を誰にも教えてはいけないこと、(彼女にも)、有事の際には、それを組み立てて参戦するのだということ。

 

当時スウェーデンには徴兵制度があり、徴兵に応じるか、ボランティア活動に参加する義務があった。

 

私が居候していたスウェーデン人は、ボランティア活動を選んだらしいが、"面白い"友人は、徴兵制度を選び、どこかの戦争に参加して実際に何人もの人を殺めたが、特に精神も病まなかったのだと。

 

全く病んでいないので、戦争参加後のカウンセリングでむしろ心配されたのだと、帰る道々、教えてくれた。

 

日本はアメリカの軍事力の傘のもとで平和なのだと言われることがあるなと、その時は思い出した。徴兵制度がある国では、若者たちの話題の一つに、とこか遠くの国で行われているのではなく自分たちが参加するか否かとして戦争が話題に登るのだろうと思った。

進学どうする?と同じトーンで。

 

私の日本人の友人にミニタリー好きな子がいて、大学卒業後自衛隊に行った子がいる。

 

スウェーデンで大きな銃を見た後、何年も経ってから、世間がカンボジアだったか派兵で揺れていた時、報道では、家族と離れ生死を争うのでどちらかと言うと行きたくないのだが行かなくてはいけない、というようなトーンで言われていたものが多かったので、電話して聞いてみると、隊の中では、みんな行きたいと言っていると言う。

驚いて何度か確認してもやはりそうだと言う。

 

理由を問うと、その為だけに日々厳しい訓練を積んでいる。自分の能力を役立てたい、とのことだった。

 

この二つの経験は、まあ戦争するより平和のほうがいいよね、と単純に考えていたそれまでの私の考えを大きくぐらりと揺さぶった。

 

もちろん戦争なんてない方が良いけれど、アメリカの軍事力の傘がなければ日本はどうなるんだろう。

どこかに行って戦争を応援するのではなく、内戦になった人々の人生はどうなるのだろう、と、少しだけ自分事として思いを馳せるようになった。

 

次は、銃を向けられた時です。