ライティングやディスカッションに、とても良い例がニュースに出ていたので、説明してみます。

 

日本人は外国人嫌い

 

アメリカのバイデン大統領が、日本人、中国人、ロシア人、インド人(上記記事にはありませんがNHKの記事にはインドにも言及したとあります)は外国人が嫌いだ、つまりアメリカと違い移民受け入れに消極的なことが経済的な問題を抱える原因の1つだ、と言う趣旨の発言をしたと言う話。大統領選を11月に控えていますからね。

 

注目してもらいたいのは、バイデン大統領の発言ではなく、それに対しての各国のコメントです。

 

インド外相「そもそもインド経済は低迷していない。(インド滞在の)門戸を開く法律もある。」

 

在米中国大使館報道官「中国経済は健全で、持続的だ。もっと多くの国と往来を簡単にできるよう協力することを望んでいる。」

 

インド、中国は、自国経済が良い状態であり、対外的にもオープンであると主張。

つまり、

 

1.経済低迷→好調

2.移民に消極的→積極的

 

と、どちらも、バイデン大統領の発言内容に対して反論している。インドはこんな法律作ってるよ、ともアピール。としたら、その報道には、その法律の簡単な説明も付くだろう。

 

注:実際どうであるかは別として、その主張がニュースで流れた時に、国民や他国がどう感じるか、という目線で考えてみてください。

 

対して、林官房長官「日本の政策に対する正確な理解に基づかない発言があったことは残念だとアメリカ側に申し入れた。また、日本の考えや政策について説明した。日米関係は強固だ。」

 

日本は、残念だと申し入れをして、アメリカには”日本の考えや政策”について説明したとあるが、それを国民に説明しない。抗議したし日米関係も大丈夫だよ、と国民に伝えることが重要だと言う態度。日本経済についての説明はない。(GDP世界四位なんだが強調しなくてよいのだろうか。)

 

こう言った話し方は私が子どもの頃から、日常的に本当に良く見られる。

政治家でも、新聞でも、様々な”先生”方でも、そうでない大人でも。

 

10代の頃なら、こういった話に接するたびに、日本経済は下り坂でもう終わり、アメリカに認めてもらえないとやっていけない弱い国なんだ、と、日本オワコンと言う印象を持っただろう。先の中国、インドの発言から受ける印象とは大きく異なる。

 

最近は、分からないことがあると関係省庁のサイトまで情報確認するので、日本結構頑張ってたんだな。とようやく思えるようになった。
 

私の情報収集能力が低いからだ、と、言われたらそうかも知れないけど、でも、そこまで努力しても、結局今回の記事では、私には”日本の考えや政策”がなんであるかは分からなかった。

 

本人が言ってないものは他人には分からないから、私が知識がずれていたとしても、それを正す機会は得られなかった。

 

今回だけでなくいつも、確定した情報なしにああでもないこうでもない、と自分で推測しているだけだから、くっきりとした意見を持つのは至難の業だ。

 

こんな状態で、日本人は社会をどうやって勉強したら良いんだろう?

この話し方では、知識への門戸が閉ざされてしまう、と私は感じる。

 

若い人が政治に興味を持たない原因の一つはこの風潮にあると思っている。

更に言うと、興味持って調べようとした人が、声の大きな陰謀論に近い考えに行き着く原因にもなると思っている。だって、まともな話に行き着くまでの道は果てしなく長い。まともな人誰もが、簡単にその場にあった字数で説明できないのだから。(できないのではなく、しないとも考えられるけど、簡単な言葉でまとめるのも結構な練習が必要となる技術なので、曖昧な話し方で生きてきた人には、できないと受け取っている。)

大抵私の場合、何かの話題で、これがまともっぽいなと言うところに行くまでに本を最低10冊は読まないと行き着かない。

でも、数十冊読んでも、多分こうなんだろうな、と言う域を出ない。

 

はっきり言ってくれたら、こんなに時間を掛けて更にもやもやしなくてよいのに、と思う。自戒も込めつつ、そういう話し方をしないように気を付けたい。

 

そもそも、”日本の考えや政策”はメジャーなところだけでも、人によって結構違う説明のされ方をする話題だと思う。

その人がどういう意味でそれを言ったか説明してくれないと、その人の主張を理解しようとしてもできないことも多々ある。

 

私としては、日本の官房長官として、どう説明するのか聞きたかった。

 

さらにこういった時リアルだと、空気を読まない私は質問するんだけど、これくらい分かっているべき、そんなことを説明させるな、と言うような顔でむっとされる方も多い。

面白がってくれる方もいるけれど。

 

質問は、私にとっては、相手の話に興味を持つからするものだけれど、質問を受け付けない偉い人(結構いる!)にとっては批判だと受け止められる。そういう人は、説明能力を伸ばすことはできないだろう。

 

もっと怖いのは、大人の多くが、あまり理解しないまま、知ったかぶりの曖昧な意見(要約するとムードだけになっちゃうような)を言っているように見えることだ。

 

中南米で、北欧で、現地の大手新聞を読んだ時に、一から説明してあることに驚いた。語彙が分かれば子どもでも読める。子ども向けのニュース解説雑誌や新聞を何年も取る必要がない。

社会勉強のハードルがものすごく低くなる。

 

日本のテレビを見ていると、政治だけでなく、ビジネスの交渉の場でも、きちんと説明できていなくて上手く行かなかった場面を幾つも見た。

え?そこで諦めちゃうの?もう少し説明しないの?とか、先に電話で良いから確認してから会議に望まないの?とか、思ったりする。

国内の会社間だとそこまできちんと話してなくても、これまでのお付き合いで仕事がもらえる業種が多いんだろうか。。。

 

もし日本で、今後外国に関わって、外国人と話ができる(交渉できるの意味で使っています)人を育てようと思えば、今回の記事の例ならば、具体的に”日本の考えや政策”を述べて国民にも対外的にも示さないといけないし、囲み記者(と言うのかな?)もその点を質問してフォローしてほしかった。

そうすれば、具体的な話がニュースに出てくる。

 

多くの大人がそうなのだから、学校でも同様の傾向はみられる。

私は、日本の公教育はとても素晴らしいと思っているけれど、この点は足りていないと思っているので、教えるし、自分が話す時も、中身を説明する。説明できるまで勉強する。

 

曖昧にしとくと準備もなくていいし楽だけど。

 

でも説明しないと、確実に子ども達が、”曖昧に、良さそうな”意見しか話したり書けない、昔の自分のような状態で成人を迎えてしまうように感じている。

 

今回のまとめ

 

外国の方と話す時には、自分が考えていることを逐一、具体的に、一番に、説明する。

その技術は、日本人同士のコミュニケーションにも結構役立つ。