では次は、富の移転元からの視点として、アフリカを取り上げます。
(イギリスを始めとするヨーロッパからの見方は中高で習う世界史の視点なので割愛します。)

『ぼくらのアフリカに戦争がなくならないのはなぜ?』は、欄外の参考文献とその引用紹介の多さに、執念を感じさせる本です。
作者は、武器があるのが良くないのだと武器を集めて処分、少年兵の更生を手伝う国際貢献をされていた方です。
気持ちが悪くなる描写が続きますが読み終えると、500年も分断を煽る支配を受けた後で治安を取り戻すのは大変だなと溜息が出ます。

治安が悪い所には、他所からの酷い侵略の歴史があります。

だからって、さっきは欧米を持ち上げていたのに今度はアフリカを持ち上げる訳ではありません。
どこかを持ち上げて相対的にどこかを下げる、と言う立ち位置がおかしいと言いたいのです。
例えば、イギリスを持ち上げ(相対的にアフリカを下げ)る、アメリカを持ち上げ(て中南米を下げ)る、など。
世界は、単純な上下関係では理解出来ません。
どの地域にも、そこに住む人がいて、仕事してご飯を作って子どもを産み育てています。

表立って上下関係を表現する言葉はあまり聞きませんが、ただ、良く聞くフレーズの裏にはそう言ったイメージが隠れています。
それは、メディアではなく人の心の中にあるものですが、私がメディア制作側ならそれを利用せずに商品を売り込むのは無理です。となれば、メディアイメージはまた人の心の中のイメージを助長する役割を果たすでしょう。

例えば、南欧フランスプロヴァンスでオリーブの風に吹かれて、は、暑い日に畑の木の下で座る、と同じ意味です。

もし私が旅行代理店で旅行パッケージを売る際、その二つのどちらのフレーズを選ぶかと言ったら、『南欧フランスプロヴァンスでオリーブの風に吹かれて』を選びます。ヨーロッパって何か良いよね、と言うイメージを利用した言葉です。
『時間をかけて遠くに行って、暑い畑の木の下で座ります』と言ったら、誰も大金を払って旅行パッケージを買ってくれないでしょうから。

でも、実際にヨーロッパの何が良いとイメージされているのでしょう。

地政学(地理から国際政治を理解する)の視点から見ると、アフリカはヨーロッパから近いです。
そして、サハラ砂漠より北のアラビア世界はエジプトなど古代から栄えて国家形態がしっかりありますから、侵略出来ません。
国を名乗って、軍隊を持って、秩序があり、法律を持っている国家相手には、勝手に文書を作って持って行っても、すぐに騙されてサインしてくれないので、なかなか侵略出来ないのです。

書くって強いです。

対して、サハラ砂漠より南はそう言った形態がない事が多く、侵略対象になりました。
私が学校で習った当時の世界地理はアフリカの真ん中にイギリスの女王の名前の付いた湖があって、とても違和感を感じたものです。今は変わっていますね。

また、昔は船で交易をしたので、船の通り道になる港町を抑えると交易を大きく増やせるので、そう言った港町を持つ国も侵略対象にされやすかったようです。
スエズ運河、メキシコのアカプルコ、フィリピンのミンダナオ島など。

こう言った事を考えていると、例えばヨーロッパ芸術の発展で、芸術家を抱える貴族がいたり、市民階級が豊かになり、コンサートなどで生計を立てられる独立した芸術家が出て来たり、と言った流れは恐ろしくなります。

その富の源泉、500年に渡る他国への侵略、を想像してしまうので。
富がアフリカ、アジア、アメリカからヨーロッパに移転した事で、ヨーロッパに余剰資金が生まれ、株式会社や株式市場が出来ました。東インド会社、香辛料、チューリップ市場は、世界史で良く出てきますね。
古代ローマで学問が発展したのも奴隷制度が浸透して時間に余裕の出来た‘ローマ市民’が誕生したからですが、全世界的に広がった為、富の量が上がったのでしょう。
だから、ヨーロッパ芸術の発展の裏には、アフリカで手首を斬り落とされたりした人達が存在するのです。

昨年は数学史を良く読みましたが、日本の本でも欧米の本でも、ヨーロッパ数学の歴史をメインに置いているものが多かったです。漫然と読んでいると、ヨーロッパだけで発展してきたのか、と思えた事もありました。(多分著者に悪気はなくて、高校で世界史を習った私達が世界をその視点で捉えるように、ただその視点で捉えているだけだと思います。ある意味、その方が怖いとも言えますが。)
しかし実際は、アジアやアラブの数学も同時期に発展していて、本当に世界の数学史に触れている本もありました。『数学記号の誕生』は、どの地域でどのような数学が生まれて段々集約されていくかが全世界的にフラットに書かれていて面白かったです。南米の結び目で数を数えるとか。

次は、その目線で他の学問も見てみます。