弥生時代第三講


(0)縄文文化時の中国の動き

(1)弥生時代の特徴、文化

(2)生活、土器

(3)身分、統治方法、社会

といった感じでまとめていきます🍀



(0)中国大陸

あ)紀元前6500〜前5500年頃: 東北地方や黄河流域でアワやキビなどの農耕が起こった。

→長江の中域、下流域でも稲作が起こった

⇒《結果》

・農耕社会が成立した。

・農耕は朝鮮半島を経て日本列島に伝わった。


い)紀元前5000〜4000年頃: 黄河流域で畑作が起こった。


う)紀元前3世紀: 秦、前漢などの統一国家が形成






(1)弥生時代特徴→水稲耕作、金属器 の使用

《道具の伝来》

●金属器…中国や朝鮮半島から伝来

・青銅器→銅と鈴の合金でてきている

・鉄器→弥生時代前期末〜中期初頭に出現

※金属器に分類されないが、ガラス器も同時にもたらされた。


機織りの技術

→紡錘車の発見から推測。


●水稲耕作

道具

・田下駄…田に足がめり込まないように履く

・大足…肥料とする青草を田に踏み込む

・えぶり… 水田面を平に慣らしたり,収穫した籾を干すために平均に広げたりする道具

・木製道具→木鍬、木鋤

・田舟…稲の運搬

・竪杵、木臼…稲を脱穀する


米の特徴

・短粒米

←中国では長粒米などが栽培された。

Q,弥生時代の農耕道具の原料の変化について書きなさい。

A,弥生時代前期は農耕道具に木を主に使っていたが、後期には鉄の刃先を持つ農具の使用に変化した。(斧・やりがんな・刀子などの鉄製道具)

弥生時代前期

あ)籾→直播

い)収穫→石包丁で穂首苅り

う)脱穀→木臼、竪杵

え)貯蔵→貯蔵穴、高床倉庫

Q,高床倉庫の役割を答えよ

A,ネズミや湿気から倉庫内のものを守る役割

お)湿田…田が常に水で湿っている。

→灌漑設備は揃っていなく,田に水が常にあった



弥生時代後期

あ)籾→田植え

い)収穫→鉄鎌で根刈り


う)脱穀→木臼、竪杵

え)貯蔵→貯蔵穴、高床倉庫

→前期と共通

お)乾田

→灌漑設備が整備され,必要な時に水を出すようにできた


●時代区分と遺跡

・岡山市百間川遺跡→田植えが既に行われていたことを裏づける遺跡。

早期: 

前期: 青森県砂沢遺跡→稲作の北限を示す

中期: 青森県垂柳遺跡→稲作の北限を示す

後期: 静岡県登呂遺跡(1943年に発見)



●弥生文化

・北海道: 続縄文文化

7世紀以降→擦文文化…漁労、狩猟を基礎に置く文化


・南西諸島: 南島文化(=貝塚文化)

→食料採集文化が続いていた

⇒日本列島に比べ生活が遅れていた。







(2)


●土器

・弥生土器…東京都文京区本郷弥生町の向ヶ丘貝塚から発見(弥生町にちなんで弥生土器と呼んでいる)

→弥生土器は薄手で赤褐色

⇔縄文土器は厚手で黒褐色

・壺…貯蔵用

・甕…煮炊き用

・高坏…盛り付け用

・甑…蒸し器用


●生活

あ)掘立柱の高床倉庫、平地式建物が多くなった

埋葬方法

い)伸展葬…体全体を伸ばした状態で埋葬する

→土坑墓、木棺墓、箱式石棺墓に伸展葬した

う)・甕棺墓→九州北部で作られた土器を使って墓を作る。

・支石墓→朝鮮半島との関係が指摘される墓

え)前期の墓: 方形周溝墓(近畿地方に出現した

後期の墓: 墳丘墓(近畿、中国地方に出現した)


お)環濠集落…集落の周りに溝を巡らし敵の侵入を防ぐ

→具体例)

・佐賀県 吉野ヶ里遺跡

・大阪府 池上曽根遺跡

・奈良県田原本町 唐古・鍵遺跡

・神奈川県 大塚遺跡

・秋田県 地蔵田B遺跡


高地性集落(平地との標高差40m以上)…丘陵の上に環濠をめぐらせた

→具体例)

・香川県三豊市 紫雲出山遺跡

・大阪府高槻市 古曽部・芝谷遺跡


→土地や水、余剰生産物を巡り争いが起き,それに対しての対策が拠点の防衛機能である。



(3)

・岡山県 楯築墳丘墓

・出雲(山陰地方) 四隅突出型墳丘墓

→このような多量の副葬品をもつ墓や、墳丘墓の出現により有力な支配者の存在が示されている。

⇒身分の差が生じていた。


●副葬品

・銅鐸: 近畿地方に分布

・平形銅剣: 瀬戸内中部に分布

・細形銅剣: 北九州(九州北部)に分布

・銅矛、銅戈: 九州北部に分布


→出土品例)

・島根県 (神庭)荒神谷遺跡→358本の銅剣、16本の銅矛が出土

・島根県 加茂岩倉遺跡→39個の銅鐸


●社会

・クニ と呼ばれる政治的なまとまりを形成。

→それを記した歴史書)


a)『漢書』地理志…1世紀の倭の様子が記されている(班固という人物によって編纂)

《内容》

倭人は100余国に分かれていて、楽浪郡(現在のピョンヤン辺り)に使いを送った。

→中国や朝鮮半島などの国の先進的な文物を手に入れる際に有利な立場に立とうとした。(使いを送って媚びを売った)


b)『後漢書』東夷伝…紀元107年倭国王の帥升が生口160人を安帝に献じたことを記す→編者は范曄

《内容》

北部九州の奴国王が紀元57年に使者を派遣し印綬を授けられたと記されている。

→後漢の光武帝より金印が授けられ、『漢委奴国王』という印字がある。

⇒1784年福岡県志賀島で出土


c)『魏志』倭人伝→『三国志』魏書東夷伝倭人条が正式名称…3世紀の日本の様子を記した。

→陳寿が著した

《内容》

・邪馬台国の卑弥呼が魏に使いを送った。

・親魏倭王の称号、100枚の銅鏡が与えられた。

・呪術的権威を背景に政治を行った。


邪馬台国→狗奴国と敵対関係

・大人、下戸などの身分差があった

・統治組織、租税、刑罰の制度が整っていた。

・市が開かれた


・卑弥呼の死後は宗女である壱与が王となった。

壱与は266年に晋の都の洛陽に使いを送った。

→『晋書』に記されている。

宗女…一族の女性