山崎マネージャーの お言葉に 
ありがたく 素直に 従った私は
その後も せっせと球場で観戦しました✌️😅

私も 幼い頃から 舞台や テレビで
たくさんの人に見られ 注目され 
という仕事をして来ましたが
我々には はっきりした勝敗や 
数字での個人データが出ることがありません

ある意味 ぬるくて イージーなのです
でも それだから
気持ちが良くない状況も生まれます

スポーツは 勝敗がすべて  そして
何もかも 数字としてのデータが出て
シビアですが はっきりしていて気持ちがいい

(1981年優勝時の藤田元司監督)

球場で 毎日 5万人の観衆からの
眼差し と 期待 とを受けて戦っている選手って
とにかく スゴイ❗️ と感じつつ
客席から応援していました

・・・と言っても キャッチャーの真後ろの
TV中継に映ってしまうシートなので
モグモグ間食などする勇気も出ず😅
おとなし〜く 応援しておりました

さて みなさんが きっと不思議に思っている

何故私が こうして山崎マネージャーに
手厚くしていただけたのか?

と言う 謎 についてですが
すみません その答えは 実に シンプルです

山崎マネージャーのご長男が
小さい頃から<岡崎友紀の大ファン>だったから
・   ・   ・   ✌️😄 イェイ❣️

後に ご長男のウェディングの御披露宴にも
出席させていただいたのですが
なんと❗️ 新郎新婦の入場曲に
私の 「しあわせの涙」 が奏でられたほど

ご長男の K君は 筋金入りの岡崎友紀ファン❗️

ほんとうに びっくりするやら恐縮するやら😍💦

そんな シンプルで ありがたい
「山崎家の事情」 があったことから
大事にしていただいていたわけですが

その分 私としても なお一層 より一段と
良い意味で プライドを保っての
ジャイアンツ・ファンとして 応援を
させていただくことができました😊👍💕

その証に 後楽園球場のみならず
北は北海道 札幌 円山球場 から
神宮 横浜 名古屋 甲子園 広島 
そして グアムキャンプまで
岡崎友紀はぜ〜んぶ 応援に行きましたとさ
😆アハハ ほんとホント‼️

というわけで 応接あっちこっち の お話の
始まり 始まり〜 ⚾️カッキーン❗️

〜つづく〜