今日はSNOOPYの 誕生日 で
お昼に お祝い をアップしましたので
その4 が正しいかも? ですが
とりあえず これが その3 ということに
1968年に PEANUT の漫画に夢中になって
単行本の発売が 毎回 楽しみで
初のパテント取得という ファミリアの
スヌーピーのぬいぐるみ を 手にして
毎日 四六時中 一緒でした
考えてみると 家〜仕事場〜学校〜家
だけの日々だった私にとって ある意味
PEANUT は精神的なよりどころだったのかも
取材やグラビアやプロマイドや
私の写真のあらゆるところに
スヌーピーは一緒にいました
当時 スヌーピーのキャラクターグッズを
扱っていた サンリオ
その 辻 信太郎社長から お招きをいただき
夢いっぱいの社長室や
PEANUT の 国内用グリーティングカードを
生み出している アトリエも
案内していただきました
私がスヌーピーの 日本の育ての親と
お気づきくださってのお招きだったのでしょう
その頃のクイズ番組の 夏休み子供大会で
あと一問正解すれば優勝という少年が
「スヌーピーの飼い主の名前は?」
という問題に 早押しで回答権を得て
自信たっぷりに 「岡崎友紀‼️」と答え
ハラホレハレ〜 と優勝を逃したとか
私は見ていなかったけど なんだか
その少年に 申し訳ない気持ちでいっぱい
飼い主は チャーリー・ブラウンなのに
私だと思ってくれてたのよね
ああ 泣けるぅ 😭 ごめんね ゴメンね
その後 PEANUT は 世界て愛され
日本での展開も 目を見張る成長を遂げ
マーケットに携わる人たちは 誰も
私が日本の育ての親とは知りません
でも でも うれしいことに
岡崎友紀からスヌーピーを知った人たちが
いっぱいいるという事実は 消えません