昔、僕の前から沢山の人がいなくなり、そしてまた、何人かの人がいなくなった。
僕は独り酒を飲み、今も昔みたいにウィスキーをそのまま飲み込み、好きなことを考え、自由に静かに静かに生きている。
この静けさを手に入れるため、好きな人もいなくなった。
たぶん少し大人になり、少しの時間が過ぎ、いくつかの可能性も消えた。
また、それを意識的に捨てもしたと思う。
僕は22年生きた。
人生を語ることのできる年でもないし、今までに起こった出来事を、きれいに自分なりに表現できる歳でもない。
でも、ここまで生きて、同じような光景を、同じような景色を、人生の中に2,3度見ることができるくらい歳をとったと感じた。
僕は書きたい、ただ単に書きたい。
ただその中で、僕は僕のことを話したい。
僕は今いるような静けさの中で、独りで生きてきた。
独りでいろいろなことを考え、好きな本を読み、好きな所に住み、苦悩に浸り楽しんだ。
オックスフォードに住み、ロンドンにすみ、そして今、南の海の近くにいる。
暇な時には海辺を散歩したり、映画を見たり暮らしている。
オックスフォードでも何人かの人と出会い、そして今、その誰一人として僕のところにはいない。
僕がどんなに自分勝手か考えた。そして、自分勝手に生きていくんだなって思った。
もし、あなたが僕のことを忘れると言うなら、僕はあなたより早くあなたを忘れる。
勝手にいなくなればいい。
ただ一つの女性器がそこに在っただけ。
でも、僕はそんな女性器のために、たぶんそのために生きているし、それに恐ろしく苦悩する。
その昔、人々は畑を耕し生活を営んだ。
この農業ベースの時代、富は土地から生まれた。
産業革命。
人々は工場に勤める生活を始めた。
工業ベースの時代には、富は資源によりもたらされた。
そして、ニューエコノミー。
経済はグローバル化し、富の生産方法はさらに複雑になる。
知識ベース時代の到来である。
ここでは、人の知識により富が生み出される。
例えば、エネルギーを核融合から取り出す世界を考えてみればいい。
まだ実用に至ってないが、実用化されると、資源からエネルギーが生まれるのでなく、知識からエネルギーが生まれることになる。
金融とは正に、知識のある場所にお金を効率よく回すことである。
こういった知識ある者に資金が行き渡ると、ニューエコノミーでは、ゼロサムゲームでなく、ゼロから富が生まれる時代となる。
まず、ニューエコノミーとは、グローバル化によって定義される。
そして、そのニューエコノミーにおける3大インフラが、輸送、通信、金融である。
輸送、通信、金融はそれぞれ、もの、情報、お金を国境を越え動かす。
規制がなく、自由であればあるほどよい。
”人間とは言葉に向かって生きようとする。又は、自分自身を作ろうとする。”
僕がこの言葉を始めて読んだのは、二十歳のときだった。
現象学者、メルロ=ポンティだ。
それ以来ずっとその本を開いてもないし、手元にもない。
だから、彼が書いたのは、僕が上にサイテーションしたのと正確にはかなり違うはずだ。
でも、彼の言わんとしたことは、その時僕がずっと探してた言葉だった。
人間は、それぞれ自由に生き、真にオリジナルな存在になるのではない。
概存する、もうすでに存在する安心できる言葉に向かって、自分自身を作ろうとする。
人はそれぞれ個性を主張したがるが、本当にオリジナルなら、その人を説明できる言葉はないはずだ。
例えば、自分は”変わってる”、と言う人はこの世に沢山いる。
そしてその人たちは、自分が変わっているという事を、誰もが知っている言葉で説明する。
すでに存在する言葉で説明する。
その時点で、その人たちはオリジナルではない。
真にオリジナルなら、まだその人たちを説明できる言葉はないはずだ。
その人たちは、自分自身を安心させるため、”変わってる”と定義されるさまざまな言葉どおりに振舞おうとする。
すでに存在する言葉に向かって生きることになる。
僕は、”真のオリジナル”を求めて、東京を二年間彷徨った。
しかし、何処に行っても、言葉はあった。