目が覚めると相変わらず日曜の10時だった。

ベッドから這い出て冷蔵庫から牛乳を取り出すとグラスに注ぎ、口に含んだ。

シャワーを浴びるもシャンプーでは気の重さは洗い落とせないでいた。

明日会社休もうかな・・・そんな思いが頭の中をめぐっていた。

バスから出た千鶴はバスタオルを巻いたままベッドに倒れるように横たわった。

天井を見つめ、手を上に伸ばし、手のひらを結んだり開いたりを繰り返した。

部屋を見渡すととても静かなことに気づいた。

テレビでも付けますか。

テレビから音が流れたのを確認するとすぐにテレビを消した。

静寂の中、月曜日出勤するよう自身の気持ちを高めるようベッドに横たわりながらそれに努めた。

月曜日いつものように出勤した千鶴だがいつも以上に無言で仕事をこなし続けた。

そんな1週間がとても長く感じた千鶴は土曜の夜ジャンプするか悩んだ。

もしかしてまたあんなことをされるのか心配になった。

しかしマスターや楽しい常連の笑顔が脳裏に浮かんでいた。

とりあえず飛んでみますか。

そう心に決めて飛ぶことにし、ベッドの横から香水を手にした。

 

気がつくといつものベンチに座っていた。

「この間の元気はどこかに落としたか?」ベンチ下の声が聞こえた。

「これでも元気ですよ」千鶴が答えた。

「そうか?浮かれているようには見えないが」

「ねえ、ベンチ下さん、ちょっと聞いていいですか?」

千鶴は股のあいだに首を入れてベンチ下の顔を覗き込んだ。

「アリスのこと以外ならいいぜ」ベンチ下は変わらぬ表情で答えた。

「私バーの仕事向いてないんですかね?」

「向いてない?」

「ええ!!」生気のない目をして千鶴が返事を返した。

「向いてるも向いてないもお前さんにとって生業じゃないのか?」

「いえ、働かなくても生活は・・・」そう千鶴が答えると

食い気味でベンチ下が言った。

「金銭的ではなく、お前さんにはもう生きていくために必要な場所となっているんじゃないのか?」

そう言われると千鶴は黙ってしまった。

「何事にも慣れと順応は必要だよ」そういってベンチ下は冷ややかに笑った、

「それはわかっています。」

「じゃあ何故悩む?ここに座っている時点で答えはわかっているはずだろ?」

図星を突かれたのか千鶴は不機嫌そうな顔で言った。

「ベンチ下さんは女性に持てないタイプですね」

「お前さんに言われなくてもわかっているよ」

「本当に1度お店に来てくださいよ」

「いやだね、俺はここから出るのが嫌なんだ、

それとも俺にキスでもされたいのか?」

そう言ってベンチ下は下品に笑った。

そう言われるとすべてを把握していたベンチ下に

相談したのことを少し後悔した。

「張り切って行ってこい。得るものがあるところに失うものありだ」

なんか許せない気持ちだが何故か納得してしまう千鶴だった。

状態を起こし、千鶴は歩き慣れた道を歩き始めた。

 

勤務時間までいつものように市場で時間を潰すことにした。

お茶を買い、いつものテーブルで飲んで空を見上げた。

青い空にやわらかい風が頬を撫でる。

こんないい天気なのに楽しめない自分に気づいた。

市場の活気さえうざく思えた千鶴は場所を変えることにした。

足は自然と波音のするほうへと向かって行った。

近くの公園につくと石のベンチに腰掛け、波音に耳を傾け

波を一途に目で追っていた。

波の音に男性の声が混じっていることに気づいた千鶴は横を向いた。

「今日はいい天気ですね」同じ形の石のベンチに男性が腰掛けていた。

すこし警戒しながら千鶴は返事をした。

「ええ、そうですね」

「そのお茶」

「え?」

「あなたが今手にしてるお茶、一風堂のお茶でしょ」

「ええ」千鶴は右手に持つカップを確認した。

「僕も好きなんですよね。それミルクティーでしょう」

「ええ」

「最近はちみつ入りのがあるんですよ。知ってました?」

「いえ」

「なら今度よかったら試してください。甘くて美味しいですよ」

「はい・・・」千鶴は気のない返事で返した。

「甘いの嫌いですか?」

「いえ、好きですけど・・・」

「悩みがあるときは甘いものが一番ですよ」男はそう言って笑った。

「悩みがあるように見えますか?」

「ええ僕にはそう見えました。」

端正な顔立ちの彼の名は結城彰といい、画家をしているという。

「絵描きさんですか」

「ええ、今は絵だけでなんとか食べていけるようになりましたけど」

「へぇ~すごいですね」

「ぜんぜん、まだまだですよ」

「なんで私に悩みがあるとわかったんですか?」

「そうですね、今日みたいな天気の良い青い空の下にいるのに

あなたの顔には影を感じた」

「私そんなに暗い顔してました?」

「暗い顔じゃないんですよ。影が見えたんです」

そういわれると千鶴は思い切って先週起きたことを話してみた。

「えっと名前は聞いていませんでしたね」

「千鶴、畝千鶴って言います。」

「千鶴さん、なぜ私にそんな話を?」

「ごめんなさい、迷惑ですよね突然。」

千鶴がそう言うと結城は首を横に振って笑った。

「ちょっと同年代の男性の意見はどうなのかな?って聞きたくて・・・」

千鶴がそう言うと結城はベンチから立ち上がり千鶴のそばに来た。

そして背中を軽くたたくと手を取り千鶴を立たせた。

「ちょっと付き合ってくれませんか?」

返事を聞かず結城は手を引いて千鶴を連れ出した。

流されるようについていく千鶴が着いた先は美術館だった。

そして中に入ると結城は千鶴をある1枚の絵の前に立たせた。

「この絵を見てください。」

千鶴が見た絵は2つの顔を持つ女性の絵だった。

そして彼は話しだした。

「人は必ず2つの顔を持つ、どちらかの顔を人に見せている。

その人にどちらの顔を見せるかは自分で決めることだよ。」

それが彼なりの答えなのかしら?そう思いながら

まっすぐ絵を見つめる結城の横顔を千鶴は眺めていた。

そして千鶴は彼に市場でお茶に誘うことにした。

「結城さん、よかったらはちみつ入りのミルクティー飲みませんか?」

男性を誘うことは千鶴にとって初めての事で体を硬直させていた。

「そうですね、じゃあ行きましょう。」

結城がそう言うと体の硬さと高校時代好きだった人に告白できずにいたことを

ずっと後悔していた心が少しづつ柔らかくなってきたことを

体内の神経が脳に伝達した。

市場に着くと千鶴が美術館のお礼だと言って彼にお茶をご馳走することにした。

「はちみつ入りでいいですよね?」

千鶴がそう尋ねると結城は横に立つ千鶴を椅子に座らせて

「はちみつ入りは僕が勧めたお茶だよ」そう言って彼が一風堂へ向かっていった。

お茶を持ってくる結城が丁寧にお茶を千鶴の前に置いた。

「ありがとう」お礼を言う千鶴に結城は笑顔で返した。

「影が取れたかな?」そう言いながら勇気はお茶を口にした。

千鶴は親密になる方法を模索しながら彼と話し込む。

「僕の絵?見たいのならアトリエに来ないと見れないですね。

さっきの美術館に展示してもらえるほどじゃないので」

「行ってもいいですか?」

「ええもちろんです。」

あたりを見回すと日が沈みかけたていることに気付く。

店に行く時間が迫っていることを感じると千鶴は焦りだし無意識にポケットに手を忍ばせた。

するとねね婆さんからもらったクッキーを思い出した。

袋からクッキーをひざ元で取り出し見てると何やらクッキー一つ一つに文字が書かれていた。

勇気と書かれているクッキーを見つけると彼に気付かれないようひとかけら口に入れた。

すると千鶴は席を立ち彼にこれから店に出勤するからと伝え、よかったらいつか私の店に来てと告げる。

彼は社交辞令のように相槌をうつと千鶴はきっとだよと言い残し、

彼のほっぺにキスをして立ち去る。

さり際彼の様子を伺うように見つめると平然としている彼の姿を見て千鶴はほっとした。

大人になるってこういうことなのかしら?

大人になる味って苦くて甘いのね。

そう思いながら口にかすかに残ったはち蜜の味を感じながら店へと向かった。