暗い内容です







不妊治療を始めるにあたって

生死のことをよく考えるようになりました。



新たに命を授かり育てる事に

本当にできるのか!?

と何度も自問自答の日々でした。



実際に妊娠して

喜びと共にまた自問自答…

そして流産し産んであげられなくて

命の重さや有難さを身をもって

痛感しました。



そして再び妊娠し出産。

嬉しいという気持ちよりも

この世に生まれてきてくれたこと

とてもホッとしました。

私は初めて我が子と対面したとき

感動よりも不思議な感覚でした。

そして命は巡るんだと何故か思いました。


命を育てることはやはり大変で

私は上の子を授かるまでに7年かかって

授かるだけで大変でしたが

分かってはいましたが

子育てはまた全然違う大変さで、、、

でもそこから逃げることはできないし

逃げようとも思わないですが、大変泣き笑い


先日久しぶりの小児精神科の診察で

上の子、自閉症スペクトラムって

ついに言われました。

わかっちゃいましたよ、でもショックで。

凸凹が本当に激しすぎて

親の私たちはもちろん

担当の作業療法士さんも困ってる笑い泣き


だからと言ってはなんですが

上の子の発達に凸凹を感じ

この子の将来が不安になり

私たち夫婦も歳なので

やはり兄弟がいた方がいいのでは

という思いと

唯一残していた凍結胚盤胞を

迎えに行かなきゃという思いで

治療し二人目の妊娠とあいなり

無事に出産にいたりましたハート


そんな2人目の出産前……

祖父の認知症が進み

自宅でみるのは、もはや難しくなり

私の出産の前後だけでもと相談し

施設(老健)に入ることになりました。

ただこのコロナ禍

入所してしまえば面会はできなくて…

そして認知症は更に進み

認知症テストは30点満点中9点でした。

余談ーーーーーーーーーーーーーーー

毎日ではないですが

介護していた私の希望で5年前に

初めて認知テストをしてもらいました。

17/30点でした。

20点を下回ると認知症だそうです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

老健に居れるのは大体が

2〜3ヶ月がMAXで

トラブルがあると即出なければなりません。

祖父は認知症もあり

じっとしていられず動き回り

足が弱ってるので尻もちついたり、こけたり。

これだけで退所の理由になるんですが

しばらくみてくださってましたが

いよいよ、うちでは難しいですと連絡がきて

年明けに別の施設へ移りました。

その時に認知レベル7/30点となってました。

そして新しい施設に移り

施設に訪問の医師の診断で

BPSD(行動心理症状)と診断され

病院へと1月末に移りました。


認知症はボケるだけでは無く

感情のコントロールも出来なくなり

身体の機能も忘れていく病です。


そして肺炎を起こし

危篤になり、どうにか持ち直し

翌週再び危篤になり、ついに旅立ちました。

担当医によると

苦しむことなく亡くなったそうです。

コロナ禍で誰も側にいてあげれませんでした。

悔しいです。

次男を会わせることも出来なかった。

コロナじゃなかったら、、、

何度そう思ったか。悔しくてたまりません。


祖父はまだ死にたく無い。と

生前よく口にしていました。

だから認知症になりボケて

何も分からなくなり、いけたことは

ある意味良かったのかもしれません。


いつも笑顔で優しい祖父でした。

最後数年はボケたりで

怒ってばかりいたけど

祖父の笑顔は忘れません。



私はこの5ヶ月の間に

生と死を身近で経験しました。

そして我が子のために

頑張って生きようと思いました。

次に祖父に会えた時に

私、おじいちゃんみたいに

一生懸命生きたよ!と伝えたいです。



とはいえ

産後の暴飲暴食がやめれない私です知らんぷりガーン

健康的な生活しなくちゃランニング筋肉