奇跡講座の言う奇跡って、知覚の転換です。
見方が変わったことで、治らないと思っていた病気が治ったり、それまで不可能と思い込んでいた事柄が実際に起きちゃうってこともあるかもしれませんが、最終的には治っても治らなくてもいい、大丈夫!と思えるほどの知覚の転換かもしれません。
これって、奇跡ですよね。肉体にもはや囚われないってことですから。
自分ひとりでは見方を変えるって難しいです。長年の思考の習慣ですし、無意識の領域が膨大ですし、自分では手に負えない部分が大きいです。四苦八苦しながら、自分の知っている範囲で創意工夫しながら、なんとかここまでやってきたのではないでしょうか。
そろそろ神の助けを借りてもいい頃みたいです。期は熟したってことでしょうか。
(期はずっと熟していたらしいですが)
その見方を受け入れることができたら、神の存在をちらっとでも思えたら、それが最初の奇跡かもです。私にとってはそうでした。
そもそも自分の生き方に神を招き入れるなんてこと自体、想定外。
気持ち平和で、感動の時ならともかく、問題真っ只中の時ですよ!
なんとかしなくちゃって右往左往している時、右往左往が当然で、そうしなきゃいかんでしょ、という時ですよ。
問題真っ只中にある時に、ちょっと止まって、落ち着いてみる。ちょっと神の名を呼んでみる。
神の名っていうのに違和感があるなら、内なる叡智と言ってもいい。
奇跡講座はイエスからの直接のメッセージなので、どうしても神になり、私も最初は抵抗感ありすぎでしたが、今ではそれも薄らいで、呼び方はどうでもいいと思っています。これも奇跡。
とにかく自分の右往左往の周波数の外に出るってことですね。
緩むような感じでしょうか。安堵、ゆとり、穏やかなスペースができるのでしょうね。そこに神のやさしさ、平和、愛、感謝が入ってきてくれるみたいです。
テレビのチャンネルを変えただけかもしれません。緊迫感満載のチャンネルEGOから、静かで穏やかな愛のチャンネルGODへ。
チャンネルを変えただけで、その周波数は周りにも伝わるんですよね。
何か特別なことをしなくても、神のチャンネルをオープンにしているってのがいいです。
自分が好きなこと、情熱を傾けていることをしている時というのは、そのチャンネルから自然と放送しています。
困った時、苦しい時に、ちょっと止まって、神の愛のチャンネルを思い出すことですね。
忘れがちなので、奇跡講座で練習です。
困難な時は自分でなんとかしようとしすぎて、一人になりがちです。
私は、その傾向大いにありです。
どんな時でも、どんな私でも、神はずっと変わらず愛してくれている、それしか神はできないんだ、と思った時、ホント、慰められました。
私の確信が時に揺れても、そんなことにはなんら影響されることなく、常にそこに在ってくれることがどれだけ救いかわかりません。
神が神の一部として私たちを信頼し、確信しているんですから。
同じように、神のから遣わされた人たちに、実はいつも囲まれていることも思い出したいです。
困っている時に助けてくれる友人はもちろんのこと、
悩みの種と自分が思った人たちも実は自分が誰であるかを一緒に思い出せるよう助けてくれる友人なんだと思い出したいです。
こんな奇跡が普通になりますように。
自分のために書きました。