昨夜の夢です。

 
靴を盗まれた、靴がない!と困っていました。

 

すると靴屋さんでもないのに、靴が並んだ陳列棚が出てきて、靴はいろいろあります。

セックス・アンド・シティーのキャリーが喜びそうな派手なピンヒールとか、年寄向けのウォーキングシューズとかいろいろ。

ひとつひとつ手にとって、見てはいますが、どれも気に入りません。

 

靴がないから、行けない、行けない、遅れちゃう、と泣きそうです。

 

行けないと困っている行先は、お隣でやっているセミナー。笑

遅れたら、叱られるって思っています。

叱られるって思うところが、結構、私のパターン。苦笑

 

そんな夢でした。

 

本題は、ここから。

 

今日のワークブックをしていて、なかなか集中できませんでした。

 

ダメだな、と思っていたら、”靴”が出てきて、昨日の靴の夢を思い出したのです。

 

と同時に、”裸足でいいですから。私が手を引いてあげますから”

 

と、イエスに言われたような。

 

そして思い出しました。

 

どのレッスンだったかは覚えていないのですが、

 

テキストだったかしら?

 

こんな箇所があったな。

 

”木々は優しい日よけとなり、落ち葉は歩く人の足をやさしく包み、風がやさしく運び、海の水は洗い流してくれる”、みたいな。

 

世界の在りようが今のままでも、よーく見たら(目で見るのとは違うけど)、守られているってことですね。

 

忘れがちだけど。

 

 

そうそう、もひとつ思い出した。

 

数珠みたいに、いろいろ思い出す朝だなぁ。笑

 

あるセミナーでのことですが、

 

受け取ったメッセージを伝えてあげましょう、という実習がありました。

 

「左手が痛くて全然使えず、困っています。どうしたらいいでしょうか?」

 

「右手を使ってください」

 

どこから来たんだ、この応答!

 

私が言ったんじゃありませんから、と言いたくはるほど、

 

自分のものとは思えない”答え”でした。

 

相手の方も、一瞬あっけにとられ、

「あーぁ、そうでした!すっかり右手のこと忘れていました!」

 

二人で大笑いでした。

 

ないものばかりに気をとられがちだけど、すでに持っているもの、与えられていることを思い出すことが答えだったりしますね。

 

今日のワークブックは

レッスン244

「世界のどこにいても、私に危険はない」

 

神の恩寵の中にいることを忘れずにいたいです。