よく言われます。
先週末の読書会でも言われました。
一人暮らしですから、基本、自分中心の暮らしです。好きなことしかしていないので、表面的には混乱が少ないです。
外の世界でいろいろ起きても、以前ほど左右されません。
影響は受けますが、真の自己を思い出す機会、平和や幸せの場所に立ち戻る機会として使えるようにはなってきてます。
というか、奇跡講座を続けていることで、ずいぶん、上手になったと思います。
聖性の筋力がついた?!
コースに専念するずっと以前から、”どんな時でも幸せでいる!”というのが座右の銘でした。
前のブログもこのタイトルでした。
”自分の幸せに責任を持つ、自分の不幸を他の人のせいにしない!”が、基本中の基本です。
長年学んできたビジョン心理学のおかげでもあるし、家族、友人、これまでの出来事すべてのおかげで身についた基本姿勢だと思います。
感謝です。
嫌な気持ちに無縁というわけではありません。
不十分感、不安、恐れ、批判や攻撃、迷い、疑いなど、何かにつけ出てきます。
こうした感情、何とも言えない嫌な気持ちには耐えられません。
エゴがますます騒いで、なんとか感じないで済むように自分で早急になんとかしたくなります。
自動反応的に、必要以上に分析したり、立て直しを図ったり、飲食、買い物、娯楽など他のことで気晴らししたり。
対処療法としては一時的には有効ですが、その繰り返しをなんと長い間、続けてきたことか。
それでもいけないわけではありませんが、進みたいです。
エゴのお出ましに気づいたら、まずは一旦停止。
静かなこころに戻って、聖霊と一緒に、嫌な感情、想念、起きていることを、雲が空を流れていくのを見る時のように、ゆっくりと流れて行くに任せる。
これができるようになると、外側で起きていることにも活用でき、必要以上に動じずに済みます。
自分でなんとかしようと思わずに、聖霊にお任せする場面です。
聖霊が私の幸せのために、それを使ってお料理し、愛や平和、喜びを思い出すような道を示してくれます。
すぐに道が見えないと思うこともあるかもしれませんが、
聖霊に意識を向けただけでも、安堵を感じると思います。
結局、安堵が究極の答えかもしれません。
”どんな時でも幸せであっていい!”と、私が決めたと思っていましたが、ずっと聖霊の声だったのかもしれません。
「神の意志が私に望むのは完全な幸せである」、これ、レッスン101でした。
私が気づいていても、いなくても、守られているってことでもありますね。
神の意志を信頼し、そして私もそれを共有しているのですから、素直に受け入れたいです、感謝とともに。