今朝は、そらさんの「Zoomで奇跡講座テキストを一緒に読み、愛や平和でつながりましょう」という機会でした。
昨日も書きましたが、課題だなと思っていると、その答えが必ずなんらかの形を通してやってきてくれます。
ブログで奇跡のことを書いたりしているけど、実際には奇跡のことなんか何にもわかっていないんだなぁーと、ちょっとがっかりしていました。
エゴの言葉だなとは思うものの、ブログも二の足を踏みそうになっていたのです。
で、今日の読書会で飛び込んできたのは、
「あなたは奇跡を部分的にも、全体的にも理解していない。それでも、奇跡はこれまであなたを通して行われてきた。したがって、あなたの理解が必要であるはずはない」(テキスト第16章Ⅱの2段落4番の文)。
私の理解は必要ないのだね。
さらに続きます。
「だが、自らが理解していないことを達成するのは、やはり不可能である。それゆえ、あなたの中には確かに理解している何かが存在しているはずである」。
何か? ここでも聖霊?!
わからなくても、聖霊に任せるってことか。
そして、ダメ押しは、最後の段落の中の一行でした。
「あなたに信を置く聖霊に、信を置きなさい」(T16-Ⅱ-9-8)。
”あなたに信を置く聖霊”!
私が自分を信じない時でも、聖霊は私を信頼している!
ドキっとしました。自分を信頼していないのは自分だけですね。
そしてそんな私の中に、また、あなたの中に、この聖霊がいるってことも覚えておきたいです。
エゴに引っ張られるのではなく。
それを後押しするように、
Kさんが本当に心からそう思えたとシェアしてくれた
「神のよって自分に与えられたものを否定しないと決心しなさい!」
も、強烈でした。
ホント、その通りだなぁ。
私も受け取りました。感謝です。
こうした分かち合いが今日の最大の贈り物だったように思います。
分かち合いが、つながりの何とも言えない至福感をもたらしてくれました。
テキストからそれぞれが感じたこと、受け取ったことが、その人に留まらず、全員に自然と暖かく広がり、
今思うと、あれはそれぞれのスピリットとスピリットが交信、というか交感していたのではないかとさえ思えます。
スピリット同士の交感! 言葉による分かち合いがきっかけですが、そこで起きていたのは、みんなが等しく受け取っていたのは、言葉ではなんともいいようのないつながりの幸せ、欠けたところのない、みんなが満たされた感じ? 愛?!
ひょっとしたら、あれは神の王国でのコミュニケーションの一瞬ではなかったかしら!
と、勝手に、今、まぶしくふりかえっています。
結局、心しか存在していない、という体験でもありました。
昨日に続いて、奇跡講座がもたらしてくれた、かけがえのない平和で美しい時間でした。