「10年の時を超えて」 先日の事、、。

皆様はもうご存知だと思うが 今年から僕の衣装提供、スポンサードして頂いているファッションブランドCOCO3

今は名古屋を含め、大阪など店舗も拡大している中 来月の7月11日に岐阜店のオープンが決定!

COCO3代表、健司さん、岐阜代表の卓也さん この三人で岐阜の店舗確認や、オープンに向けて お世話になる方々のご挨拶に行ってきた。

そしてここからが凄い話になる! タイトルに 「10年の時を超えて」 このように、凄い再会があった。

僕がまだ15歳の終わり 色々な事情があり名古屋に来た時に可愛がって頂いた 西尾さんという方に、10年ぶりに再会したのである。

当時の西尾さんは建設業バリバリ 毎日のようにご飯に連れていいってくれ 僕が当時働いていたお店に来てくれては 勇気、頑張ってるな! そう言うと、封筒を渡される。 中身はなんと数万円が入っていた。

当時、そのお店で僕は毎日皿洗い 時にはショータイムに出演してマイクを握らせてもらった。

そして僕は20歳の頃、歌手を目指し東京に戻る。 それからも西尾さんは僕を応援してくれた! 僕が芸能界デビューする時も誰より喜んでくれた! CDもたくさん買ってくれて、皆に僕を宣伝してくれた! 西尾さんは岐阜の方、「勇気、たまには都会から温泉にでも」 そう言って僕を岐阜の温泉に連れて行ってくれた。

それから僕は仕事が忙しくなり 名古屋にはなかなか行けなくなってしまった。

そんな時、岐阜の歌手で平尾門下生 松田くんから連絡が入る、、。 勇気君、西尾さんが緊急入院した なんとあんなに元気だった西尾さんが がんにおかされている事を知る。 僕はショックのあまり、東京のスタジオで男泣きした。

なんでなんだ、あんなにいい人が!! 悔しくて、松田くんに何度も聞いた、、、。 西尾さん、直るよね 大丈夫だよね!! うん、少しずつだけど 良くなっている。

僕はスタジオで楽曲制作に追われながら 西尾さんに逢いにいこうと決めた。 でも、松田くんが「実は西尾さん、鬱になってしまって」 は~~ 西尾さんが?? 始めは信じられなかった、、。

ここで西尾さんと出会う前の話を書きます。 僕は東京生まれ東京育ち。

しかし親の事情で 10歳から15歳まで湘南に住んでいた。 湘南は父が生まれた場所 湘南時代は、やりたい放題 昼はサーフィン、夜は暴走族の集会 爆音を響かせ、愛車の単車に乗る毎日。

金曜日になれば、湘南は鵠沼海岸から江ノ島に並ぶ単車の列を作り 250台に及ぶバイク、そして100台を超えるクルマ! けして自慢でもなんでもないが、これが僕の青春時代。

話は20年以上前にさかのぼるが、僕の両親は僕が2歳の頃に離婚。 僕がこの世に生を受けてから、僕は育ての親、谷のおばちゃんに育てられた。 しかし父は芸能人、忙しい。

でも年に一度、授業参観などに来た日には あ~平尾 昌晃さんだ~ サインください、、、、。 そう、僕の学校がパニックを起こす。

先生も、生徒の親も、、。 学校というのは、教育の場所なのに、、、。 所構わず、そんな事が繰り返された。 そして僕は当然の事、周りから嫉妬や妬みでイジメの的になる。

小学校のある日 学校に行くと、下駄箱の僕の靴に針のような物が置かれていた。 そして僕は何も気づかないまま、その靴を履く そう、画鋲が足に刺さり出血が止まらない。

そして授業中も関係なく、イスを蹴られる、、、。 あまりにもムカついたので、おい ふざけんなよ! そう言って振り向いた瞬間に顔面を殴られいて 気がついたら保健室に運ばれていた。

こんな毎日を送るのは耐えられなかった! だから僕は小学校の半分は不登校だった。 そしてそんな中、親父に環境を変えよう 僕が生まれた湘南なら環境も良い、、。 そして僕が10歳の頃、僕と兄と谷のおばちゃん 三人で湘南に住む事になった。

しかし、その頃の湘南は荒れに荒れていた! まさに漫画、湘南爆走族の世界で 夜になれば爆音を響かせた単車 僕は夜な夜な仲間と遊んだ。 自分の単車が欲しくてガソリンスタンド ペンキ屋のバイト、などなど、、。 たくさんのバイトをして、憧れのバイクを先輩から買った。

そして不良の道に進んでいった、、、。 その頃は、親の事も、俺を見捨てた 俺の親は、谷のおばちゃん! テレビに映る親父が嫌いで嫌いで仕方なかった、、。 何が芸能人だ、偉そうに! 有名だから偉いのか? バカげてる、そう思いながら単車を走らせる毎日。

周りの環境もあり、僕は14歳にして暴走族入った 怖い物なんて何も無かった、、、。 この頃からギターを初めて作詞作曲をするようになった、、。 尾崎豊 長渕剛 玉置浩二などをコピーしていた。 そして小、中と俺をイジメた奴らを、今度はイジメ返した! 気がつけば250台の暴走族 全日本レーシング連盟のトップのチームの特攻隊になっていた。 三日三晩、寝ずに遊び、寝ずにバイト そしてまた夜の星空の下に消えてい行った、、。

そんな時 大嫌いな親父が突然湘南に来た。 俺と兄に大事な話がある 良く聞いてほしい。 なんだよ、親父 固いよ、、。 で、話って何? そう言うと 実はお前達の育ての親 谷のおばちゃんが末期のがん 余命半年なんだ。 僕は泣きながら、親父!! なんとかならないのか!! そんなの信じられない!! ふざけんなよ!! でも、親父は暗い表情で何度も言った。 事実なんだ、、。 受け止めるには若すぎた その日からショックのあまり 単車にも乗らなくなった。 友達や仲間の誘いも断るようになった、、。

好き放題遊び たくさん迷惑をかけた おばちゃん 俺は何も恩返しをしてない!

そんな事を考えて、毎日毎日苦しくて悔しくて 15歳の僕は泣き崩れた。 だからおばちゃんが病院に入院中 毎日バイトに明け暮れた! おばちゃん、絶対に直るよ! ごめんな、いままで迷惑かけた分 恩返しをするから!! そう自分に言い聞かせながら!! でも現実は変えられなかった。

それから半年後 谷のおばちゃんは この世を去った。 谷くに子 73歳 永眠

安らかな顔だった でも病気のせいで小さくなった体が悲しかった 僕はずっとずっと その小さな体を抱きしめた おばちゃん ありがとう 本当にありがとう でも何も恩返しできなかった悔しさに 泣いて泣いて泣いた 15歳だった僕には辛すぎた。

それから おばちゃんのいない家で一人で暮らした。 なんにもやる気が出なかった でも仲間達が毎日のように僕の家に来てくれた。 いつもは暴走族で肩で風を切るような奴らが 自分の事のように思い 一緒に泣いてくれた! 皆、おばちゃんが好きだった、、。

不良でグレているヤツ程 心が熱く素直! 自分の存在を分かってほしいからグレる 僕の周りには、親がいない仲間 何かしら家の事情が複雑だったり 障害をもった仲間もいた。

世の中には悪は存在すると思う。 でも不良少年と、戦車や拳銃で戦争をするような人間を同じにいてはいけない、、。 これは日本が平和だからかもしれないけど、、。

あの頃確かに僕の仲間はみんな良い絆で結ばれていた。 だから、おばちゃんが亡くなった時も 「勇気、おばちゃんはずっと勇気を見てくれているよ」 そんな暖かい言葉をかけてくれた。

それから僕は名古屋に住むある方と出会う。 僕の第二の母 洋子さん。 洋子さんに逢わせてくれたのは 谷のおばちゃん! 最初の話しにつながるけど 西尾さんと出会えたのも こうして今、名古屋と縁があるのも! そしてこの前 岐阜の話に戻るけど なんと なんと とあるお店で飲んでいたら

黒服の方が突然 勇気さん ある方が勇気さんが岐阜に来てる事を聞いて 勇気がいるのか~~?? 逢いたいから連れてきてくれ!! 僕は少し席を立ち その黒服の方に案内された、、。

そして なんとあの西尾さんがいたのである!!!!

10年ぶりの再会!!!!

嬉しくて抱き合った!!!

西尾さん 元気だった!!!

でも少し障害は残っていた 体も昔と比べすごく痩せていた。

言葉もカタコトだった、でも でも、そんなの関係ない!!!

こうしてまた出会えた事に嬉しくて自然と涙がこぼれ落ちた、、。

少しの時間だったけど昔話に花が咲いた!!!

長文になってしまったけど 人間は人との出会いでどんな形にも変わってしまうと思う。

今こうしてたくさんの方々に出会えた事 心からもう一度感謝したいし 僕は音楽を通して、たくさんのメッセージを送りたい! だからこれからも人との出会いを大切に 感謝を忘れない人間でいたい!

まだまだ未熟者だけど おばちゃんに恩返しができるように!

必死にこれからの人生 生きていこうと改めて思いました!

PS ステージに立つ時

必ず「おばちゃん、今日もありがとう」 僕はそう心に言ってマイクを握ります。