年始には時間に余裕があったので、
ちょこちょこ漫画を読んでいた私。

漫画のことを書いていたのに
途中から脱線してなにやら
考えを展開していたようです。

※こちらの記録は内容を変えずに

文の言い回しと訓読点を一ヵ所ずつ変えました。

    

久しぶりに漫画サイト見てみたら、

昔ちょこっと覗いてた漫画の無料分が

結構増えてた。


そして、中々面白い。


(中略)


あと以前と違うのが、

無料分終わった後の執着度かな。


昔はもっとこう…

やっぱり課金しちゃってたよね。

もっともっと、ってなってた。


んで、ふとこの執着の度合いって

何から生まれるのかなと考えた。


これだ!って思えるものの出会いと

興奮から始まると思うのよね。


そこからって

本当は思い込みなんだろうと思う。


自分にはこれしかない、

自分をこれだけ惹き付けて

興奮させてくれるのは

これしかいないっていう、ね。


本当は…周りにも他にも

たくさんあるんだけど、

そうやって思い込んでるときは

目もくれないよね。


他と比べても

これだけ自分を夢中にさせてくれるものは

これしかないって。


その高揚感を忘れられなくて、

何度でも何度でも求めてしまうけれど。


そういう人ほど、

本当はどこか自分の内に空虚感を抱えていてそれを忘れさせてくれる何かを

外へ探してるんじゃないかと。


だから見つけたその高揚感を忘れられない、離れられない。


違うよ…その高揚感がなくても、

欠けたりしない。


むしろそれがあるからこそ、

心は欠損の有りかを意識し出して、

いつも足りなくて何回も

その高揚感を求めてしまうんじゃないかな。


高揚感は一時は何もかもを

忘れさせてくれるかも知れないけれど、

欠損を感じてる心は何も変わらない。


そうやって高揚感を追い求めている自分を

自覚したら向き合うべきなのは、自分の心。


その高揚感を得ることで

自分は何を埋めようと必死になってるのか。

何を辛いと思っているのか。


辛さの在処が分かったら、一歩前進。


ここの段階でも、すっと執着してたことから離れることができることもある。


そうすると不安が遠ざかってくのを

感じるはず。


それでもまだ不安なときはすることが

まだあって。


ここでは辛いと感じる自分を

責めるのではなく、

向き合えた自分は

高揚感を追い求めているだけで

(潜在的に)逃げている自分から

成長しているということ。


そして辛さの在処が分かったら、

現実的な対処法を考えていく。


一番いいのは書き出していくことかな。


ありのまま…こう思ったら

世間から批判されるんじゃないかとか、

悪いやつなんじゃないかとか

そういうことは度外視して、

思うまま自分の気持ちを書き出す。


それが終わってたから、

客観的にじゃぁ現実で

どう対処していくのがいいのか。


これも思い付くまま。


でも見返して、人に害をなしたり、

社会的に許されない方法は

もちろん排除してくこと。


そうして、具体的な方法が見えた頃には

不安は少し和らいでいくはず。


まだ曖昧かな?


私自身はこれを高校~大学、

社会人初期くらいに実践してた。


何か漫画の話から逸れたな。


なんか求められてもいないのに

勝手に持論展開していう

なかなか恥ずかしい記録ですね。


なんとなく言いたい時期だったのでしょう。


どうか生暖かい目で見てやってください…昇天