私はツインレイ街道に迷い込む以前から

わりと日常的にブログを読んでいました。


と言っても、ブログを日常的に読むようになったのは

せいぜい4年前くらいからかなぁ?


私が割合読んでたのはマネーブログが多かったです。


7月の初旬に入ってふと、

以前読んでたブログの主さんは

その後どうなったんだろうと思って、

薄れていた記憶をたどって検索しました。


とある雑記ブログ


アメブロのようなフリーブログではなく、

個人ブログで書いてる方だったんですが、

ご自身の極貧生活を公開しつつも

なんとか正規の仕事に就こうと奮闘されていました。


努力されているのがすごく伝わるブログだったので、

先行きが気になりつつ見守っていたのですが、

就職されたところで一旦読むのを離れたんですよね。


その時就職された職場で

またその方なりに奮闘してるのかななんて

思いながらページを開いたらなんと

適応障害になったと。


職場の内実を読む限りでは、

むしろ離れて良かったんではないかと

思うような内容でしたが、

報われて欲しいなと思うばかりでした。


また、ここでも関係してるのが、

職場にある不条理の部分や、

お金の部分なんだよなぁとも考えてました。


そしてもうひとつ、前回読了してから日が空いてた

ブログにも訪問してました。


プラチナツインレイ関連ブログ


それは私が知ってるなかで

プラチナツインレイかもしれないと

銘打っている唯一のブログに再訪しました。


唯一と言ったポイントはそのブログが

かもしれない”と銘打っているところなのです。


実は“私(たち)はプラチナツインレイだ”と

言われているブログは

いくつか見掛けたことがあります。


ですが、そういったブログは、

プラチナツインレイブログで書かれていたことと

同じことが自分の身に起こってるとはありますが、

どういう過程でその状態まで行ったのか、

その先に何が起こったのかという話がないのです。


新生地球のお話も見たことがありません。


(あ、もうお一人のプラチナツインレイ、ariciaさんは

別です。私の中ではあの方のブログは水葉さんと同じ解説ブログの位置付けでいます。あと新生地球のお話もされていますしね)


“かもしれない”と言われていたブログについて

私が気になっていたのは

そのブログが現在進行形で書かれていたからです。


そこに私が歩む道のヒントがあるかもしれないと

そう思ったからです。


その方は水葉さんのブログも知られていて、

プラチナツインレイブログで書かれていた現象に

近い体験もされているとのことでした。


だからこそ、その方の行き着く先が

とても気になっていたのですが、

この7月に衝撃的な記事を目にしました。


その内容は

ツインレイの彼とお別れしたというお話でした。


この記事を見て、まぁ分かりやすく影響された私は

あれ、やっぱり私も違うのか?状態になったりして。


そんな記録も残ってました。


でも、その記録の最後に書いていたことがあります。


それは

『違っていたと認めることの方が

ハードルが高いのかもしれない』

ということ。


魂を惹き付けられるような出会いがあり

その特異性からツインレイかもしれないと

一度は思ったわけですよね。


それをあぁ彼はツインレイじゃなかったんだな

ストンと認められる状態。


それってそういう魂を惹き付けるものに

自分を預けなくても

フラットな状態でいられるということでもあって。


ツインレイに出会ったということに

自分の価値を預けることなく、

自分は自分の人生を行こうと

決断できる強さがあるということ。


違っていたことを違っていたと認められる強さ。


そして違うと認めることが

決して自分の価値を貶めることではないということも

分かっているが故の境地ですよね。


なんとなく私はそう思ったんですよね。


自分ももしも違うと分かるときが来たら、

こんな風に清々しくあれるだろうかと

思いを馳せた出来事でした。