ブログの区切り


回顧録ブログももうすぐ区切りになるなと

感慨を覚えてる記録がありました。


6月初日の記録がこちらです。


    

ブログももうすぐ区切り


先月中には終わらなかったけど、

もう少しで区切りを迎える。


(中略)


ホントに公開した意味があるのかなって

ところなんだけど…

プラチナツインブログについて

広く知ってもらう意味では良かったのかな?


あの(プラチナツイン)ブログは、

真実を語っていることもあり、

人によっては心理的負荷が掛かるんだと

思ってる。


それでも自分に向き合って、

受け止められる人じゃないと

読み進められないんじゃないかな。


だから、一部の人はその情報を

シャットアウトして読もうとしなくなる。


でもそれを真実だと思う人はたくさんいて、だからこそ

あのフォロワー数なんだろうなと。


この記録ではブログ区切りに伴って、

改めて公開した意味について考えてたようですね。


この公開の意味については

プラチナツインレイさんのブログを

紹介するということだけでなく、

私自身に関わる意味があったと今では思っています。


それについてはまたこのページの後半に。


そして区切りを見据えている記録は

6月8日にも残していましたので紹介します。


    

ブログの終わりが見えてきた


明後日で終わりだなぁと。


(エンジェル)ナンバーも呼応するように、

新しい使命が訪れたという

メッセージが届いてる。


次は何するんだろうな?


ちょっと楽しみ、かな。


利己的にならないようにと警告があるから、還元するっていう意識を

忘れないようにしないとね。


コメント


6月には有難いことにコメントを入れてくださる方が

いらっしゃいました。


このブログの公開は
自分の中の衝動に動かされるまま走ってきたので、
どれだけ読者が少なくても、
区切りになるところまでは続けようと思っていました。

ただそう思ってはいても
ホントに最後の最後まで反応がない中
ずっと駆け抜けてきたので、
初めてコメント頂けた時は真面目に嬉しかったです。

空に向かって放っていたように感じてたものが、
きちんとどこかには届いているんだなぁという実感を
伴ったような感じがしました。

そうしてこの感動の裏側で、
実は思い出したことがありました。

プラチナツインレイさんのブログのコメント欄に
書かれていたことです。

確か、公に向けて(?)ブログやコメントで
自分のことを発信できるということは
自己開示する強さがあり、
自分に隠しだてするようなことはないという
表明でもあるという内容です。

そしてそれは皆が繋がっている、
ワンネスに同意することでもあるのだと。

ただし、それはただブログを公開したらいい…
ということではなく、
公開にもポイントがあるようでした。

それはお金を介在させないこと、
つまり皆が記事を無料で読めること。

そして特定の誰かだけという、
限定記事を設けていないこと。

(実際は若干ニュアンスが違うかもしれません汗うさぎ
リンクを貼ろうと記事を探したんですが
見つけられなくて、記憶頼りで書いてますアセアセ)

この内容を思い出して、
そう考えると内に内に籠ろうとする私には
ブログの公開は通らないといけない
プロセスのひとつだったのかもしれないなと
実は思ったのです。

そしてそれは
私にコメントをくださった方にとっても、
そうなのかもしれないと…
そんな風に思ったのでした。

ワンネスへの同意。

それはツインレイに出会った出会ってないに関わらず
新生地球に行くには通るべき道でもあるのだろうと
私は思っています。



訂正のお知らせ


まったく話は変わりますが、
今回、本記事を書くにあたって
プラチナツインレイさんの
ブログを見返したのですが、
過去記事の用語間違いに(やっと)気づきましたので
こちらで訂正のお知らせをさせて頂きます。

誤:ウィークイン
正:ウォークイン

申し訳ございません。

過去記事はすでに訂正しましたので、
よろしくお願いいたします。

(もし訂正が漏れてたら気付いた都度
訂正していきますアセアセ)

恥ずかしや~魂が抜ける