「2011年私はニューヨークでアメリカンドリームを夢見ていた。カーネギーホールで演奏することをイメージしながら、ホール隣にあるスターバックスに通っていた。」

 

そしてアルベルトはついに、2024年5月にカーネギーホールでのコンサート出演を叶えた。

 

 

4歳の頃ナポリ旧市街にある修道院にて、修道女からピアノを習い始めた。煌めく太陽と陽気なイメージの街並みの影には、カモッラと呼ばれるイタリアマフィア達が街を統率するリアル。「一歩間違えれば麻薬密売人になっていたかもしれない」と語る瞳の奥には、混沌としたナポリの街でしぶとく夢を追いかけてきた彼の本気が見え隠れする。

厳しくも温かい修道女の教えのもとでめきめきと才能を開花させ、8歳でナポリ国立音楽院に入学した時には既に、音楽院の教会ミサにてオルガン奏者を務めていた。

どんなアーティストでも経験する一連の成功と失敗、野心、嫉妬、裏切り、絶望、孤独、焦燥、挫折。全てを味わい尽くし、2011年アルベルトはイタリアからニューヨークへ単身で渡った。持っていたのは片道航空券と夢だけ。

 

「ニューヨークでは何でもやった。」

 

最初に住んだのはチャイナタウン。ドアには穴が空いていて部屋にはネズミがいた。

ある時仕事を探して歩いているとピアノの音が聴こえてきて、ブロードウェイ裏にあるイタリアンレストランに飛び込んだ。そこはハリウッド俳優も行きつけのVIP御用達の店だった。同じ南イタリア出身のシェフに「今夜からおいで」と気に入られ、瞬く間に看板ミュージシャンとなる。

マイケル・ダグラス、ベン・スティラー、クリス・ノースもアルベルトのピアノに酔いしれたという。マイケル・ダグラスに至っては、彼のプライベートパーティーにて演奏を依頼したほど。

 

「毎晩のチップだけで充分に暮らせた。」

 

その様子を目にしたイタリアのプロデューサーから、イタリアに戻り国内でCDを出さないかと打診がくる。

故エンニオ・モリコーネも所属した老舗映画音楽レーベルCINEVOXからのオファーに胸を躍らせ、ファーストアルバムとなる「Funambulist」(綱渡り芸人の意)をリリース。イタリアに拠点を戻した。

イタリアを中心にヨーロッパ、アメリカ、日本にて演奏活動をしながら、Jazz要素の強いセカンドアルバム「On the way」を、そして2015年に故ルイス・バカロフが指揮を取ったサードアルバム「Memories」をSony Classicから発売。

同年ヨーロッパヤマハアーティストに任命され、プライベートでは音楽院卒業直後の迷いと不安の時期に出会い、心の支えとなってくれていた日本人女性と結婚する。

2016年に父親となったアルベルトは、再び焦燥の中にいた。いつまでもたどり着くことのないゴールを求めて、曲を書き、鍵盤を叩き続けた。希望の中の苛立ち、不安定な生活、マネジメントへの不満、限界だった。

 

妻の希望もあり、東京に拠点を移す。

言葉の壁、カルチャーの壁。それでも日本は優しかった。

 

すぐにヤマハミュージックエンタテインメントホールディングスから日本限定ベスト盤となる「AMORE」を発売。銀座ヤマハスタジオにてCDリリースイベント開催。これから全国へ向けて、という時にコロナ禍へ突入する。

コンサートやイベントは全て中止になり、生徒達もレッスンを自粛。彼も例外なく収入を失い悲嘆にくれたアーティストの一人だった。

 

そんな時に発覚した妻の癌。一家は絶望の淵にいた。

4歳の息子と一緒に妻の闘病を支えながら、夢中で曲を書いた。ピアノだけが彼の精神を繋ぎ止めていた。

 

それから一年。治療を終えた妻と子どもも一緒に、書き溜めた新曲をロンドンのAbbey Roadスタジオにてレコーディングするチャンスが訪れる。スタジオ1で故ルイス・バカロフの指揮でロンドンシンフォニーと収録してから8年が経っていた。アビーロードのスタジオ1および、有名なスタジオ2の両方でレコーディングしたピアニストは今までにいない。かつてビートルズもレコーディングしたスタジオ2にて二日間で全11曲を録音し終えた瞬間、アルベルトはその場に泣き崩れた。溜め込んできた全ての感情をピアノに託し、吐き出し、解放された瞬間だった。

 

そして2023年、アルベルトはイブラ・グランド・アワード・ジャパンにて横山幸雄氏や熊本まり氏、秦はるひ氏等、著名なピアニストの審査員たち満場一致にてピアノ部門第一位、主催のデヴィ夫人も絶賛し全部門のグランプリに輝いた。日本に拠点を移してから5年。少しずつ彼をサポートしてくれる仲間が増え、チームが広がり、夢へ向かって再び歩き始めた。

 

翌年2024年、受賞者への報奨として、ニューヨークカーネギーホール公演に出演した。

「音楽の殿堂カーネギーホールには何かがいた」

 

ゆっくりと歩いて入ってきたアルベルトは、黙ってピアノに座った。観客はしんとしている。

彼は一旦天井を仰ぎ見た。

大きな息を吸って、次の瞬間、指がストンと鍵盤に落ちる。そこからは一気に会場が動き出す。まるでメリーゴーランドのように、彼の音楽に乗ってくるくると観客も一緒に回り始める。

 

一流クラシックホールで、彼は自身のオリジナル曲「After the Rain」で開始。繊細なタッチと美しい旋律、そしてダイナミックで確かな技術。観客は陶酔され、魅了された。

曲が終わると同時に鳴り響いた拍手とブラーヴォの声。

 

普段はシャイで拍手を受けるのが苦手なアルベルトも、客席からの想いを味わうように笑顔を送っていた。

雨降りの後、虹がかかる。

どうしても演奏したかった曲、「After the Rain」

彼の人生そのものを表したのだった。