私の職歴シリーズも4つ目になりました。今回は2005年4月~2008年9月まで在籍していたソニー社員のころのお話しをしたいと思います。守秘義務等もありますので、細かい内容は割愛しますが、その時に「もっとこうしておけば!」「こうするべきだった」という反省点を中心に書いていきたいと思います。

私はソニーに入る前は、入った後に同期の友達をつくろうと思って、入社前は大学院の研究などに没頭していたり、個人事業を閉める処理などに忙しくしていました。ところがこれが裏目に出てしまい、入社後は友達が大変少ない状況に追い込まれました。その当時入社前は、友達作りをするために、ソニー内定者同士でかなり頻繁に飲み会等を開催して自発的に友達ネットワークをつくっていたようです。

大学の時も大学院のときも、「他の人と違う事をしたい」一心で色々していたせいか、そのまま社会人になっても通用するとタカをくくっていたのです。大失敗でした。

学生と社会人の大きな差は「周りとコミュニケーションが円滑に図れるか否かで評価が変わる」という点です。学生はあくまで学生なので、勉強ができていればさほど問題はありませんし、卒業自体も問題ないでしょう。しかし社会人では、いかに仕事ができていたとしても、普段周りと疎遠で会話をしないような雰囲気の人と、周りとうまく話ができて調整やリーダーシップを発揮できるような人では、評価がガラリと変わったりするものです。20代の新卒入りたてのころは、おしなべてみんな同じ給料でしたが、数年たった先輩達の給料の差はかなり大きいものになっていたようです。

また、友達が少ない状態での勤務はかなり大変でした。つらいことが仕事上はたくさん出てくるのですが、上司に文句を言うわけにはいかないので、何か別のストレス解消方法が必要になります。この時、自分の今のステータスに近い同期が少ないというのは、大変苦しいものです。理解してもらえる人が居ないということになりますからね。

激務が続いた時に、ひとりぼっちで1ヶ月以上終電コースで奮闘したことがありましたが、結果的に精神的にも肉体的にもボロボロになって休職したことがあります。一重に「自らストレスや仕事のつらさを乗り越えるための施策をしてこなかったから」そういう事があったと考えています。

体を壊したときに心底思ったのは、人とのコミュニケーションを積極的にはかる努力を惜しまなければ良かった、ということです。

そんなことがあって、ぼちぼちと電気エンジニアとして無線技士をしていましたが、気がついたときには入社してから3年も経過してしまいました。もともと経理に興味があったのですが、ソニーのようなUS-GAAP準拠の高度な専門知識が必要な部隊への転属は不可能でした。

3年目研修でリクルート出身の方が行っていたキャリアデザイン研修のようなものがあり、そこで自らの適性は何に向いているのかというのを細かくチェックしました。その時に、私は税理士が適性トップ、今の職業であるエンジニアは適性普通、弁護士が適性最低と出ました。上から言われたことだけをやる仕事が苦手でして、ある程度主体性をもたせてもらったほうが色々仕事がはかどるタイプでしたし、手に職を持ちたいと思っていた私にとっては、とても分かりやすい結果でした。

その時に税理士とはなんぞやとか調べ始め、経理よりも上でプロフェッショナルな職業であるということが分かり、目指してみるのもいいかもしれないと思ったのです。適性結果に素直に従おうと思った次第です。ですが、ソニーをやめて勉強に専念するというのはなかなか冒険ですし、職歴に穴をあけたくないと思っていたのでどうしようか悩みました。

【私の職歴】⑤ トリニティア設立当時 に続きます。






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