『西郷どん』から、菊池源吾と名越左源太と | ゆきの時間……台湾に暮らした先祖の足跡を辿って

ゆきの時間……台湾に暮らした先祖の足跡を辿って

☆高祖父は『南島雑話』の名越左源太時敏 ☆名越(なごや)は祖先の姓
☆曽祖父(左源太の次男&時成の弟)は明治時代に台湾総督府勤務
☆祖父は台湾・麻豆の役所勤務定年後に嘉南大圳水利組合で勤務
☆父は台湾の台南・麻豆生まれ、亡き母は旧満州・新京生まれです☆


ドラマの感想は視聴直後にFBに書いたので、関連して思ったことをちょこっとだけ。

今夜の放送を観て、前から気になってた事をやっと検証する気になりました。

 

西郷隆盛が奄美大島へ向けて鹿児島を発ったのは安政五年(1858年)の暮れで、奄美大島竜郷村阿丹崎に到着したのが翌年(1859年)一月十二日ということです。文政十年(1827年)十二月七日生まれなので満31歳とひと月ですね。

 

わが家の先祖である名越左源太(なごや さげんた)時行(時敏とも)が「お由良騒動」の連座で奄美大島に即日遠島を命じられたのが嘉永三年(1850年)三月のこと。その後、藩主・島津斉彬の「赦免通知」を受け取り、またまた風向きの関係で半年あまり島に滞在した後、実際に鹿児島城下へ帰ったのが安政二年(1855年)六月二十一日。 

 

ですから、その3年半後に西郷さんが奄美へ渡るんですね〜!

前後して渡っている事は知っていたのですが、比較したのは初めてでした。

 

名越左源太が生まれたのは文政二年の十二月二十八日(1819年、但し旧暦なので実際は1920年2月か?)ですから、遠島になった当時は30歳。

 

西郷さんとは8歳違いで、奄美へ渡ったのがほぼ同年齢だった、ということがわかりました!

 

ただ、左源太の場合、妻も子供もあったので、そこが西郷さんとは違っていました。

私の曾祖父(=左源太の次男)が生まれたのは嘉永三年(1850年)の一月も終わりの頃なので、生まれて2ヶ月そこらで父である左源太が遠島になった、というわけです。。(涙)

そして、帰って来た時には5歳になっていたんですもんね〜(!!)

「父上、初めまして」って感じですね。

 

☆詳しくはこちらのブログをご覧ください→舞台は奄美大島へ