皆さんこんばんは。
やっと少しずつ前向きになることができています。
初々しさ溢れる春の雰囲気。
スーツに着られた新社会人たち。
街がとてもそわそわしているようなこの季節が僕は好きです。
しかし大好きな失った人たちを置いてきたような感じで寂しさももちろんあります。
夜桜を観ながらまた新しい季節の訪れを感じるばかりです。
去年から大切な人たちを失う経験が続いてしまいました。
それぞれの想いは僕の胸の中にしまっておきながら、今はなき日々を思い返す毎日です。
少しだけ今日は友人のことを紹介します。
僕の友人は昨年11月に突如この世を去りました。
HIVのことを知っても背中を押し続けてくれた大切な人。
実はHIVになったんだ。
そう僕が切り出した際に、僕より先に泣いてくれました。
「辛い想いを1人でさせてごめん。」
その言葉が今も昨日のことのように思い出します。
いつも適当な人で、そんな人ではなく…
彼のまた違う一面も見ることができました。
どれだけ彼の言葉に救われたか。
計り知れない想いと感謝の気持ちでいっぱいになります。
僕の将来も一緒に考えてくれました。
「悠もやりたいことしっかりやれよ。また後悔することになるぞ。そうなったらいよいよ人生終わりだな。」
そんなことを彼なりの不器用な言葉で僕の背中を押してくれました。
どんな時も支えてもらいました。
そんなある日、彼は突然この世を去りました。
突然の心臓発作。
彼の奥さんから連絡を受け、病院に駆けつけましたが彼はもう息を引き取ったあとでした。
素直に感謝も伝えられなかった。
最期まで僕のことを信じてくれてありがとう。
この病気になり
「お前は悲劇のヒロインか」
「どうせやりまくっていたからだろう」
「HIVとか気持ち悪い。ゲイの病気だ」
そんな心ない言葉も多く頂きました。
すみません、僕はヒロインではないです。
HIVであることを悲劇のようにしてくれたのはそのような人たちのおかげです。
僕は悲劇だなんて思いません。
今まで以上に自分自身を大切にできる毎日を送れて、生きることに積極的になれました。
本当に大切な人を見極めることもできたのかも。
やりまくっていたという発想こそ偏見ですね。
僕が罹患した経緯を話してみたいけど、すみませんこれも経緯が分からないので。
性的な接触が感染経路として多いですが、経験人数は数人です。
いずれもお付き合いしていた人たちだけなので。
その人たちが罹患していた可能性と適切な予防ができていなかったのも原因でしょう。
輸血でも罹患するリスクはありますから、その方々が過去どのような経験をしてきたのかはわかりません。
詮索する理由がありませんよね。
HIVが気持ち悪いなら関わらないで頂いてもいいですよね。
僕は理解のない人とはむしろ関わりたくもない。
話が脱線してしまいました。
でもここまで刃物のような言葉に立ち向かえるようになったのも彼のおかげです。
生半可な気持ちで発信を続けているわけでもないし、もうきっと弱かった自分もいない。はず。
少し愚痴っぽくなってしまいました。
少しでもご理解頂けたらもっと穏やかに過ごせるのにな。
友人がいつでも力を貸してくれているようで、僕もまだまだ頑張れそう。
ありがとう、親友。