スポーツをやったことがある人はこんな気持ち少なからず味わったことがあるのではないかな。

大切な試合、最後のバッターになってしまってゲームセット。負けが決まった時の苦い思い。凡打だった残像がいつまでも消えない。
とか。

例えばバレーボール。追い込まれていてあと一点取られたら負ける。そんな時に追いかけたボールが自分の目の前でポトリと落ち、ゲームセット。ああ、自分がこの打球を取れていたら、、、と自分を責める。

最後の瞬間、
なぜ取れなかったのか
いつまでも苦い思いが消えない。

こんな経験から
私の信条はこんなふうになった。
「最後の瞬間を迎えて後悔しても遅い。それまでの一球一球が積み重なってその時を迎えるのだから。」
と。

ずっと以前、
教員をしていた若い頃、
退職することになったときの最後の挨拶も
様々な思いが巡り、何を話そうか何を伝えようかあふれる思いに迷った。けれども
最後の一球の話をして
自分なりに最後の一球(一日)も
最初の一球(一日)も
途中の何十球(何十日)も
想いを込めて過ごして来たつもりだから 特に改めて話すことは無い、と伝えた。
最後だからって特別な言葉を並べてもなんだかそれは上滑りな気がしたのだ。
だからこそ1日1日を大切に過ごしてほしいという想いからだ。

若かったからストレートにそんな風に思えたし、情熱もあったから
言えた言葉だったなぁと少し気恥ずかしいけれど。


昨年の暮れに、母を見送った。
その最後の日に
この時のことを思い出した。

母との時間をちゃんと一日一日を悔いなく送ってこられたのかなあ。
最後の時を迎えてから悔いても
取り戻せないんだよ。


  青い空と雲、樹々の色のコントラストにいつも癒される。