5月12日から20日までの間に右目がはれて、瞼が開かなくなってきた。


右の鼻の穴も腫瘍で詰まってきている。


5月22日入院して、すぐに生態検査のために上の歯茎の部分を切って、腫瘍の一部を取り出す、

1時間以上かかったよう、前の廊下でまっている間、なぜなぜこんな事になったのか


百人上顎洞癌いたら4人くらいの確率、


年には関係なく進行する、先生の言い方は不良の中不良でそれも、顔つきの悪い癌だと


何で、こんなになるまで、ほっていたのかと?言われるが、初めは痺れているような感じから始まって、少し押さえると痛いに変わり、その間2ヶ月、本人自身も最初は自覚症状は分からない。

今から思えば入れ歯が直しても直しても合わない。歯茎が痛いと言っていた。歯医者を替えたらというが、めんどくさがりやと頑固ものだから、一向にかえようとせず、この時点で、歯医者を替えて居れば、まだましだったかも知れない。それと鼻水がよく出ていたような気がする。

それよりなによりも、もっと私に知識があればと、悔やまれてならない!


5月28日困った時の神仏頼み、比叡山のサカイ大あじゃり様の居る飯室堂で、護摩木をあげてもらい、帰りしな病院より、検査結果が出たので夕方来るようにと、、、、、、、、

どうか、どうか、、、、、、、最悪の結果は予想していたが、、、、

それでも、、、、どうか、、、、、と胸の中で手を合わせる。。。。。

、、、、、病院にて、、、、

先生に先に私だけで、話を聞かせて下さいとお願いする。。


。。。抗がん剤が効いて1年、効かなければ、3ヶ月と宣告される。。。。。。(´д`lll)


癌の治療をするに、あたって本人に、がん告知をしなければいけないと言われる。。。

ならばせめて、余命のことは言わないでくださいとお願いする。


そしていっしょに話を聞く、

癌だと言われた時の母の表情は余りにも、驚きで声も出ず、

顔面喪失、無表情、右手で左肩あたりのパジャマの端をつまみ、もぞもぞしていた。

たぶん、この後の話は、母の耳には入ってなかったと思う。

その間、先生の話はたんたんと、治療の話が続き、最後に治療は辛いけど、一緒に頑張りましょう!


部屋に帰り、一言

>>>なんでこんな病気になったんやろ。<<<と、母がつぶやく

本当に私もそう思うけど、、、そんなこと、いえない

治療したら、治るから。今は医学も進歩してるし、大丈夫!大丈夫!とごまかす

私がついてるし、二人でがんばろ!!!!


<そう二人で今までも、頑張って生きてきたんやから、今が本当の踏ん張り時や、、がんばらなあかん!!!>           

     と自分に言い聞かせる。。。。