治療再開まで …卵巣茎捻転とドリリング手術、先生との出会い
治療再開〜現在まで …体外受精に進むまでのこと
一度目の体外受精まで …一つも採れずに終わった採卵
父はとてもお酒が好きな人でした

毎日夜ゴハンは食べず、
ずーっとお酒と酒の肴で過ごす人でした

英語が話せて頭が良くて

子供の頃は
良く一緒に遊んでくれて、
一緒に踊ったり


一度、いけないことをして
殴られた事もあったけれど

ひょうきんで面白くて、優しかった父。
そんな父は
私が14才の時に他界しています

いろーんな苦労と
ストレスに晒された挙句、
毎晩浴びるようにお酒を飲むようになり。
酔って家の物を壊したり

夢遊病になり、夜中に彷徨い歩いたり

怖かったよー。
最後の1年ほどは
笑顔を見せる事も、会話をすることも
ほとんど…
いえ、全く。
なくなっていました。
…あれから19年が経ち

私はもう、父の笑顔も声も、
きちんと思い出す事が出来ません

父の夢を見る時は
私は夢の中で子供に戻っています

そりゃそうです


父とまともに接したのは
小学生の頃までなのですから

ですが半年ほど前に
初めて

33歳の、現在の私のままの状態で
夢の中で父と会いました

夢の中の父は
一生懸命、何度も何度も
私に笑いかけてきました


必死に身振り手振りを加えて

まるで赤ちゃんをあやすように…

夢の中の私はそれを見て

(お父さんが笑ってる…

(そっか、今はもう苦しんでないんだ。楽しくやってるんだ

そんな風に思っていました

その間も父は、何度も何度も…。
私に笑いかけていました

ただ、それだけの夢です

ただ、それだけなんですけど…
夢から目覚めた後、
私は涙が止まりませんでした。
何かを考えるより先に
どんどん涙が溢れてきていました。
『笑え


そんな父の声が
聞こえたような気がしました。
もう、笑うことを…
忘れてしまったような父だったのに。
私には笑ってろと、言うんだね?

フフフ

ははは

いろんな事があって、
壊れてしまったような家庭だったけど。
父と母の間に産まれた事は
本当に良かったと思えます。
本当にたくさんの愛情を貰いました

私は本当に幸せな人生を貰ったんだと
心から思えます

あの夢が
ただの夢なのか?
…いや。
父がしょーもない私に会いに来たのか?
それは分かりませんが

父よ、見ているか

私の身体ポンコツだけど、
自力で子供出来ないけれど
元気に生きてるよ

こんなんでも



声高らかに
そう宣言したいと思います

ー夢を見た数日後。
ある日の母との会話…
私

「もし、私が不妊治療してるってお父さん知ったら…何て言うかな。反対するかなぁ」
母

「そうか。後悔しないように頑張れ。…って言うと思うよ」
母

「反対はしないよ。お父さん、そんな人じゃないからね」
私

「そっか…。(うるうる


母

「お母さんは反対だけどねぇ。諦めた頃に出来るもんだよ」
私

「あー、……ははは


優しい言葉でうるうるさせた後、
重いボディブローを披露してくる母

もっとやさしくしてー。
暗い内容でスミマセン

どうぞ、颯爽と通り過ぎてやって下さい。ささっと。さささっと…。
みなさん、
よいお盆休みを過ごされますように

