このブログを読んでいるという人に出会った。相生ステーションホテルの宴会場で。初対面である。とてもよいと言ってくれたのだけれど、もとより受け狙いは皆無の単なる真面目な書き物であった。しかし読んでくれる人がいるというのは素直に嬉しいものではある。この時代は、世界に何かを伝えていても、自分でもまったくわからない。だから炎上して世界が混乱することもあれば、世界に愛がもたらされることもある。そしてレスポンスが早い時代となったのである。

 

 なぜ相生アネックスかというと、実は昨日、古珠和尚の奥さんの送別会があったからである。和尚遷化の後、宝林寺を守ってこられた奥様が宝林寺を去られることになった。相生ステーションホテルアネックスの宴会場に、40人以上の沢山の人が集まった。 工藤さんの席はあそこ(お久しぶりにお会いした彫刻家 岸野さんがそう言ってくれて)、と言われて席につくと、隣は吉田さんで、そのとなりは、和尚の奥様、その向かいは半田先生というわけで、送別される奥様のずいぶん近くに座らせてもらった。

 

  宴がすすみ、いろいろな方が奥様への送別の言葉ということで、マイクを渡されて言葉を述べた。宝林寺を見守って来たたくさんのかたがたには、弁の立つ人が多いなあと思いながら、そして洋子さん(これが和尚の奥さんのお名前)の人柄に魅されてきた人たちなのだった。半田先生が、宴のはじめに、洋子さんは明るいかたでという話をされた、そのとおりの明るさが、寡黙でまさに禅僧(しかしどこかいたすら小僧のような、しかしなりは完全に禅僧の)の、(横田南嶺老師をして、本物の禅僧と言わしめた)西村古珠和尚となぜかおもしろい組み合わせで、そこにも惹かれて人々は宝林寺に集った。

 

  私にもなにか一言を言われてマイクが回ってきたが、社会的地位のある人間でもないので慣れていないもので、立派な言葉が出てこなくて、気恥ずかしいものだったのだけれど、少しだけ話をした。

 

  ---   初めて宝林寺の坐禅会というものに行ったときに、おはようございますと入り口から叫んだら最初に出て来てくれたのが、なんか綺麗なおばさんで、あれ、こういう方がスタッフをしているのかな、ちゃんとしているところじゃないかと思ったのですが、何回か通っているとそれは奥様だということがわかりました。そして和尚と奥さんだけでミニマムにやっているのでした。まあしかしそんなこんなで、宝林寺さんにはいろんな方が来られ、坐禅をしてお茶をいただきお菓子をいただき、人によってはずいぶんと語るかたがいてべらべらと、それを聞いているわけですが、誰もしゃべらないときは奥さんがしゃべられ、というような感じで、なごやかに淡々と、そんなことをひたすら繰り返していたわけですが、そんなことをずっとやっているだけなのに、いつの間にか人が集まり不思議なことにこんなに大きな広がりになっていたりしたわけで。。ほんとうに、ここはいいところでした。

 

  たわいのない、つまらんスピーチをしてしまったなと反省したのだけれど、そういうたわいのないスピーチをしながらでも、なんとなく泣けてくるのでもあった。話し終えたら、(司会の)半田先生がなにかフォローでもしてくれるように言った。

 

  ーー和尚はそうして”道”をまもってこられたのですよね

 

 そうです。そういうことを僕は言いたかったのでした。あれはにじみ出たものです。和尚の禅風というか、あれは禅風とかいうものではなく、人間風ということばのほうがぴたりときた。会えてよかった和尚だったということ。病床にあって沢山のことを最期でもを教えてくれた。その数年後に、僕が自分の母を看取るとき、人間は去っていかねばならないけれど、生きるということにおいて、純粋にひたむきならば、人生は輝いたのだ、それで完璧だということを、やはり見せられた。つまり誰もみな完璧だ。そうやって、僕も僕自身に〇(まる)をやりなさいと、言われているのだと思う。

 

 -----  山雲海月が、お前は今ここ もう笑ってていんだよって言ってくれてるんです(おぎゃーでいいのだ 西村宗斎著 西日本新聞社)

 

  というような昨夜の宴席で、次、工藤さんですと紹介されて話をさせていただいたものだから、そうかあれが工藤さんなのか、このブログを書いている、ということがわかったため、わざわざ席のところまで話しかけに来てくれた方がいて、それが冒頭の方であったと言う話にこれはつながるのです。ずいぶんと興味を持って読んでくれていて、僕がキリスト教徒であることやら、三人の神父の話にまでちゃんと読んでくれていた。書いとけば誰か読むもんだなと思う。和尚さんが、淡々と坐禅会を毎朝やっていたことが、いつしか大きく広がってこうなったということに相通するもんがある。(と思っておこう。)

 

  水墨画家の平川さんが来ていたので、おひさしぶりとあいさつをした。ちょうど平川さんの隣が、先ほどの僕のブログのファンだなどと言ってくれたそのかただった。その方もまじえて、少し話した。キリスト教の話になり、平川さんは、仏教とキリスト教と相通ずるとこととは、といったことになにか興味深くしていた。相通ずるところ。。和尚さんはあのとき

 

 ーー ああ、おんなじなんだなあ

 

と病床に寝ながら感慨深く言ったのを、いつまでも私は忘れないと思います。イエスが罪の赦しを与えに来たのは、人間が善悪を知る実を食べてしまった罪をゆるしにきたのだったという話を和尚にしたら、ああ、おんなじなんだなと、古珠和尚はそういったのだ。

 

  禅のことは、結局よくわからないけれど、和尚がおんなじだと言ったから、そうなんだろうなあと思う。この世界は善悪が好きだ。トランプも、ゼレンスキーも、プーチンも。僕も。そして苦しんでいる。和尚さんは、あれが正しいとか間違っているとか言って比べて大騒ぎしているいるこの世界をみて、幸せの秘訣は”比べないこと”と言った。世界は今、しかし比べること、善を主張して、相手を悪とののしることがすべての世界なのだった。奇妙なことに、一つの確信として、世界を平和にしていける最短距離がそこにあるとおもえる。善悪の果実を食うのが好きな自分の大騒ぎの嵐の海の船の上で、イエスは

 

  ーー静まれ!

 

と叫び。波は静まった。と福音書にある。宝林寺に集まって、普通の人達が、静まった命のところにある至福にひきつけられた。 碇を下したように座っている和尚のそばにいて、なにか安心して坐っていた。