ずっと介護とか母のことで開催を見送っていた職場の飲み会というものをひさしぶりにやった。なぜか理由はわからないが、ずーっと前から年に何回か縦割りがなくて上下関係まったくなしの飲み会を私が主催している。
幹事なんで、姫路の福亭に早めについて店の前にいたら、商店街にでかい声で、呼びかけがひびいた。なんかたぶん兵庫県知事選挙の関係かなと思ったら、斎藤さんのスタッフの声だった。ひとだかりができていて、みにいったら
ご本人 姫路登場である。この晩は、姫路にはNHK党?の立花さんもきていて、にぎわいまくっていた。福亭前のこの写真は、まだひとだかりが大きく成長するまえだったのでわりと至近距離で一人のミーハーとして撮れてしまった。
斎藤さんの件は、みんなが注目してしまうことになった。僕はパワハラなんてものが嫌いですので、最初はこれはまたこまった人が出て来たねえと思ったものだ。しかしながら、いつしか趨勢は斎藤氏有利に劇的に進行した。一票、実はわたしも入れました。なぜかというならば、こうなったらもう一度やらせてみるしかないのではないかと思ったから。斎藤さんが知事になれば、ふたたび合戦が始まることは必至とも思われる。しかし、それを我々は見る必要がある。それを通過しないと、なにも変わらないかなと。
よく言われたことは、この件は、斎藤さんがいろんな箱ものの建設なんかを凍結してしまったので、そこに権益を期待していた業界のかたがたと、その業界に利益誘導(?)していた人々からのクーデターであるという図式をみんなが感じ取ってしまったことで、こういうことは実はだいぶまえに上郡の町長さんに知人がなったのですけれど、そのときも議会との対立というのがあって、けっこう地方自治体では起きがちだと思った。地元の有力者、地元の権力者、なんかこう、いやな感じであるとともに、また地元を歴代住んできて地元をわかっている郷土の名士の信頼厚い頼りにされてきたひとたち。
しかしながら、僕らのようにやはり税金を食んでいるような仕事をしている者は、予算がどう使われるかと言うことが為政者の采配にかかっているものだから、なにかを目の色をかえてしまうのです。予算がつくつかない。事業が仕分けされてしまう。斎藤さんを選んだと言うことは、ある人たちにとっては、収入の減少につながり、その建設業にぶらさがる数多くの発注を期待していた会社さんもがくりとしていたりするんだろうとおもったりもします。(全く関係なければそんなん知らんわですむものだが。)その会社さんの従業員さんの家に小さなお子さんもおられたりもして。世の中は、それでも、やらねばならないことのために、理念として正しいリーダーを選び、その結果をしっかり受け止めていくと言うことになるのだろうなと思います。
しかし、斎藤さんとして、まったく同じコースをたどって、混乱の県政をまねいてしまわないようにやる努力をかなりやるだろうなと思う。がんばってほしいと思った。現物を姫路でみてしまったし。商店街に出現して徐々にひとだかりができていく斎藤さんは、まったくキリストのように、ああ一人立っているなあと、つくづく思えた。すごいもんだ。