母が逝って ひと月たってない。昨日、部屋を整理していたらツカザキ病院でとった頭のMRIが出てきた。母の。
70才のときで、こっちに来ていたのだ。けっこう若いころに、なにか変かなと言って撮りにいったのだろう。
ツカザキの待合で、母と座って待っていた様子を僕は思い出すことができるのに、それがもう18年も前だったとは、驚いている。18年なんて、あっという間に経ってしまうのだろう。それでも、そのころからもう、ずっと僕は母のことを心配して生きていたのだ。長い年月だった。
バカの一つ覚えのように、母のことを思うと、やっぱり本宮町下湯川の四村の小さい教員住宅のくらしから、僕と母との時間が始まったこと。その部屋から僕の記憶ははじまって、長い時間すぎて、こないだ、つまりまだ一か月たたたない最近、母は帰天した。あの教員住宅の壁の高いところに、マリア様の絵が貼ってあった。あれは今、実家のどこかにあるのだろうか。
聖母子の絵だったとおもう。
なぜ神父さんは外人なのだろう、とそのとき不思議だった。そのうち日本人の神父さんもいることが、だんだんわかってきたのだけれど、和歌山県内の教会はみんなアイルランド人の神父さんばっかりだった(むかしは)。なぜうちは、他の家とちがって外人さんの教えてくれるキリスト教なのだろう、という不思議をしかし、なにもいだかなかった。こういうもんだということ。日曜日は教会にいかねばならないので、朝からは遊べないのである。そういうもんだ。
それでも、結局、全部よかったと思う。それで、僕はまだ、いきている。時間が与えられた。貴重な。時間。