僕は姪たちの叔父で甥の伯父である。と書き下して、僕のなかで伯父と叔父の定義がクリアになる。ネットでググって確認したうえで書いたので、これで間違いない。

 

  妹と妹の息子、姉と姉の娘3人、弟。はるばる千葉に東京に神奈川に名古屋に仙台から、休みもとって、おばあちゃんに会いにきた。先週も来ていた。このいとこたちが、なにかすこぶる仲良しで、もう社会人だから、歳もアラサーになってきている。社会の中核を担うような年齢にさしかかるこの子ら。

 

  僕は兄弟の中で、一人だけ疎遠にして勝手に生きていたので(だからなぞのおじさんと言われていた。甥や姪が会ったことがないおじさん。)、母が嘆いたものだが、こうして、母が自分の生命をつかって、なんとか親戚を集めて、かかわらせてくれる。長男らしくない長男として僕は、そういう長男の定義を無視して生きてしまった。そのぶん、昔の日本の長男のような高圧はしないけれど、そういう責任のようなものから、逃走していたいという無理な願望を持ってきたのは確かであって、けれどもそういうのも母が元気な間の幻だということを、いつのころからか、たぶんもう10年以上まえから、わかり始めていた。

 

  昨夜は、かけつけた甥に妹は宿がなくて、たつのの私の家に泊まり、孫といっしょにポケモンゲームでもりあがったらしい。妻はよく、彼らのためにもてなしというか、気をつかってくれた。僕は施設に泊まった。

 

  さっき夕方ホルヘ神父に電話した。母の様子を伝えた。兄弟や甥姪がきているから会わせたいといった。甥と僕の息子はカトリックの幼時洗礼を受けている。ホルヘ神父さんは、母のことも、しかし僕のことも気にかけてくれる。

 

  疎遠だったこれらの親類と、母を囲みながら、どこかでだんだんとなじんでいくのを感じていた。母が、そういうふうに強く望んでいた。そのとおりの夢を、母は夢の世界に眠りながら実現していく。

 

  みながさっきホテルに帰った。僕が残ってまたここに泊まる。母と話す。僕が独白するだけの会話だけれど、聞こえていますと看護師さんが確信をもって言うから。

 

   ーーーーおかあちゃん あの子ら 仲ええね

 

 そう言ってみて、僕自身がもう、世代をゆずりつつある人間になっていっているのも感じる。あの子らが仲良く、ほうぼうから集まってきて、祖母を囲んで、なぜか楽しく(重苦しさよりも、みなで囲めば心が助け合っているのか、あるいは若さゆえのパワーの生命のゆえか)、すごしていってくれること。ただ、寝たっきりのおばあさんの顔をさすったり、腕をさすったりして、ときどき好きなことをしゃべって過ごしている。

 

  そんなものを見ていて、そうだよ、そういう幸せもある。母の顔は安らいでいる。昨日あたりから目をしっかり見開いていという時間よりも、まどろんでいたり瞑目している時間は増えているけれど。母はこの歳なのに、美しい前歯(これは知らんまに、昔の昭和のかっこわるい金歯をおしゃれなインプラントに母が変えてもらっている。まったくいつの間に、といってこの囲む人たちが、笑う)を見せて寝ているので、なにか恍惚に幸せにも見えている。本当に幸せかもしてない。