家宝などというものが伝わるような家柄ではないのだけれど、一つだけあるのである。

 

  尺八です。わかる人にはわかるが、歌口が欠けており、修理することにした。

 

  

 

 これを少年の頃父からもらった。その後、いろんな引っ越しをしても、フォークギター(やはり父が姉に買ったものを、姉がすぐに弾かなくなり、僕がいただき、音楽活動の友になった。)とともに、この尺八はずっと僕について人生の時間の中を旅をしてきた。

 

 実は父は尺八を吹けない。祖父が吹いていたのである。祖父は新宿の八百屋だった。むかしの新宿にはビルではなくて、八百屋があったりした。向かいは鈴木オートで隣は茶川先生の駄菓子屋だったかもしれない。あたかも三丁目の夕日だ。その八百屋をやっていた実家はまだあり、空き家にしてある。周りはビルだが、その一角だけ住宅があった、すくなくとも僕が最後に泊めてもらった82年くらいまで。今はどんな風景なのだろう。牛込郵便局の裏だ。名義は末の妹である叔母だと思う。9人いた兄弟でもはやその人しか存命でない。祖父は、山形から出て来た人だった。なぜ尺八が吹けたのか、僕は知らない。ちょっとだけ音楽的才能の血筋かもしれない。僕にはギタリストをしている従兄弟がいる。祖父はNHKのラジオで尺八を吹いたころがあると叔父さんたちから聞いた。何の番組かは知らない。NHKのど自慢だろうか。

 

 父は尺八を僕に習わせたがったが、和歌山県新宮というローカルで尺八を教えてくれる人が見つけられず、いたしかたなく現代尺八講座という名の通信教育を申し込んだ。僕は中二くらいだった。プラスチックの尺八が付いていた。なんとか音が鳴るようになった。ある日、新宿の実家から、父は竹でできた美しい本物の尺八をもらってきた。従兄弟連中で尺八を吹こうなどというも者は僕だけだった。誰も欲しがらないので、いいんじゃないですかと親戚たちは言い、尺八はうちにきた。

 

 僕のもになってから45年くらい経った。たまに吹いてみたりもすれど、とくにはまるということもなく、いろんなとこに引っ越しをして人生を渡る間、結局僕のもとにあった。僕のとこに来た時から、写真のように歌口が欠けていた。倍音になりやすくて基本振動が出にくくなっているように思う。現代尺八講座のプラスチックのよりも音が出しにくい。でも治ればいいきっとアッとおどろくような音がすると思う。祖父がわざとこうしたのかも、と思ったこともある。わからない。けれども、いつかそのうち、これを修理して、ちゃんと吹けるようにしたいと思っていた。歌口が水牛の角だと知っていた。そんなものをどこで直せばいいのか。わからなかった。しかし、昨今インターネットでさがぜば、修理してくれそうな人はいくらでも見つかる。

 

  直接の契機は、昔の音楽仲間との再会だった。彼をいろいろやりとりするうちに、もう一度一緒になにかしたいですねという話になった。昔のようにロックバンドのようなのよりも、もっと掘り下げたような音楽作ってみたいと僕は言った。僕らは音楽を演る仲間というよりは創る仲間だった。だから二人でたくさん曲をつくった。ときどきライブもした。そんな日々は遠い昔となっていた。

 

  ーーーー 父からもらった尺八がある。これを修理して吹いてみようかな

 

と僕はいった。ええやん、と彼は言った。

 

 それで修理してくれる人をまじめに探した。この人にした。

 

 

 葛山幻海さんという人である。聞けば、このかたの先祖である葛山願性は、和歌山県由良町にある興国寺を建立した源氏の御家人であったという。興国寺は、法燈国師が開基した尺八所縁のお寺である。興国寺は、若き日Y君が修行していた寺である。Y君から興国寺が尺八で有名なところだときいたことがあった。

 

 縁かなと思い、葛山さんに尺八を送り、見てもらい、修理は2か月ほどかかり、もどってくる。どんな音になって帰ってきてくれるだろう。帰ってきたら、音楽をまたはじめよう。友と。どんな音楽が、今はできるかわからないけれど。