今日夏至の日だ。そして夏至は好きだ。日が長い。週末だったりすると、なにか得したような気になる。正確には一番遅く日が暮れる日は6/29らしい。孫の誕生日だ。8年前のその日ちょうど小さい学会で札幌にいてN教授と飲んでいた。北海道でも夏至の頃ともなると、夜に出歩いてもけっこう暖かだった。その年のその日は。

 

 今週はN教授が実験にSPring-8に来ている。昨日居室に訪ねてきてくれた。古珠和尚の”おぎゃーでいいのだ”を一冊進呈した。

 和尚さんの最後の法話の音声を文字書き起こしたのは僕ですと話した。

 

 N教授はももと理論物理をやっていたのだが、SPring-8にきてからは、生物物理などにフィールドをひろげている。北大に出て行ってもう10年以上になる。一年次の物理を教えるのに最近熱力学などを学びなおしているという。なんでも情報熱力学なる分野が面白いと開眼したという。

 

  --- アインシュタインは物質とエネルギーというものが一つのものの現れということを見つけたと同じように、新しく今度は情報というものが、物質 エネルギーに並ぶ もう一つの宇宙の要素の姿と言っている

 

  と言って、目を輝かし、その会話のあともLINEで 沙川貴大という人の本を教えてくれた。この沙川先生という人は、情報熱力学の第一人者で、最近若者の間で超絶人気のある物理学を語るYoutuberのヨビノリさんがこの先生の研究室出身なんだと教えてくれた。そういえばヨビノリさんは、いろんな大学の研究室からの要望で宣伝活動なども取り組んでいる。N教授より遅れること数年の後に奈良先端科学技術再学院大学の教授になって出て行ったM下さんも、今度ヨビノリ先生にお願いするらしい。そんなこんなで、若いころにSPring-8に職を求めてきた人たちで、優秀で業績を上げた連中はこのところどんどんどこかの大学の先生になって出ていく。うらやましいような、いやいやそんな重責は僕には無理だなとも思いなら、僕はここでもうすぐ定年を迎える。

 

  N教授に"オギャーでいいのだ"を進呈したのだが、以前から時々N教授と仏教話をしたことがあった。以前にもこのブログに書いたが、N教授は学生時代物理学を学ぶなかで、どうにもその深い部分に仏教の教えと通ずるものがあるように思え、京都の寺に通ったりしていたという。そんなことから、9月の姫路に講演に来るという横田南嶺老師の話などもしたのだけれど、なんとN教授の奥様が横田南嶺老師を既に知っていて、ぜひとも姫路の講演にはるばる札幌から来たいと言いだしたとのだそうだ。

 

 そんなこんなで、N教授は、興味深そうにいろいろ聞いてきた。禅の悟りというのはどうやって証明するのかとか。そりゃそれこそ横田老師にでもきいてみにゃ僕にもわからんが、釈迦から魔訶迦葉、阿難へと、さらにその弟子へと悟りがつたわって、禅寺だと自分の師匠までつながる悟りの系譜を毎朝読経するんですよと僕は言った。僕は曹洞宗でも臨済宗でも接心にいったことがあったが、両方とも朝の勤行ですごい数の歴代祖師の名前をとなえて自分の師匠まで至るというお経(あれはお経なのか)があった。釈迦よりも前もその系譜には含まれていて、なんとか菩薩だとかなんとか仏だとかいう名になっていたと思うが、これを初めて読んだとき、なんか日本の天皇の系図のようでもあり、どこからどこまでが神話なのだろうなあなどと思ったものだ。

 

  ストイックに坐禅して、修行する。これは何を求めているんだろう、とN教授が言った。はて何をもとめているのだろう、とあらためて聞かれてもわからないものだなと思った。僕は毎朝けっこう早い時間に起きて坐禅する。さりとてストイックというほどのことはない。さて何かをもとめているのか? 昔はなんか求めていた気がする。忘れた。これは自分が生きるためには、必要なことのように思うので、というほかない。

 仏教ではなくてなぜか福音書なのですが、僕の答えとしてしっくりくるのは

 

マタイ 5章13

5.13 「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。

 

 塩味を保つため。