庭が無駄にだだっぴろい家を建てた。このだだっぴろを全て畑にするとメンテナンスで死ぬので、申し訳程度に、畳一畳ほどの畑を作った。というよりむしろ花壇である。昨年、私がなんかやるとダメ出しをする妻が主導で、ホームセンターから買い集めて来たレンガとか土とかで、小さなこの畑を作り、これまた妻主導で好きなものを植えて、小さい畑だけれども昨年は適当にいろいろ収穫した。

 

 

 

 昨年この畑が繁茂するころ、母を実家から連れて来た。実家では畑をしていた母も、この家にきたころにはもう足もいうことをきかなくなり、遠巻きに、畑が庭の端の方にあるなあと眺めていただけだった。冬になるころ母はプレザンメゾンに入った。

 

 冬が来て春が来て、二年目の畑は、妻があんまり関与しなくなったので、納屋にあったいろんな種を春ごろ勝手にまいた。基本、僕のすることはダサいといって非難されるのが常である。そーっと内緒で撒いておいた種は、あんまりうまく発芽してくれず、やぱりだめかねえ、難しいもんだねえとか思っていた。種はもうずっと前に市民農園していたころとかの残りだから、ずいぶん古かった。

 

 けれども、ある日何か芽生えて来た。焼肉レタスだと思う。サンチュともいう。子供のころ味噌をつけてご飯をまいてひたすら食べたチシャと同じものだ。そのチシャ菜がよわよわしく、何本か出てきた。正直何を撒いたかわすれかけていたぐらいだ。お前、よく生えて来たな。と、まるで猿蟹合戦のカニのように毎日水をかけていたら、なぜがこっちにもあっちにも、そうして畑の外の地面にも、チシャ菜の幼児が生えてくる。全部回収して一畳畑の中に等間隔で植えなおした。ゆっくり育ってくる。春から夏にどんどん日が長くなってくる。日差しが強くなってくる。チシャ菜がでかくなってもさもさと畑一杯に膨張してくる。途中でやはりこぼれ種から来たトマト2本と、セロリ一本も回収し、隙間に植えなおし。もともと植わっていたネギも見事にどんどん成長してくる。トマトには昨日の朝支え棒をプレゼントした。

 

 そうこうするうちに母の日にプレザンメゾンの母に妹がもってきたカーネーションがしおれて来たので回収してきて妻が鉢に植えなおして畑の隣に。昨年からあった別のカーネーションの鉢もとなりに。僕が母の日にもっていった名も知らぬ母の日の花も、やはり弱って来たので回収し、また妻が鉢に植えなおして畑の隣に。それらがだんだん元気を回復して、なにかいい感じの小さな野菜と花の畑と鉢の集まりになった。それが上の写真。周りにあるテキトーなプランターに一株だけご近所さんにもらったイチゴがサバイバルしたのがまだサバイバルしていて、いくらか元気にまともになってきている。他は、生えてくる雑草をむしっては放り込んでいるコンポスターとしての大型のバケツに無意味な空バケツとか空鉢そしてレンガ。

 

 乱雑なつもりなのだが、なにかこの一角を眺めていると癒されてくるものが僕にはある。夕方帰ってくるたび、今は日が長いのでけっこう明るい中で水を撒く。毎日水をまく。僕はやはりカニだ。猿蟹合戦の。なんだろうこの癒されは。この寄せ植えは。自然の生態系ではないので、毎日水道代を使って水をやる。僕の水道代で養っている植物たち。それでもなぜか癒される。癒されながらもチシャ菜は毎日採っても無限に生えてくるようにもさもさで、だから家族は特に俺は責任感もあってムシャムシャ食っている。俺は草食系か。いや、だがこいつは肉に巻くとうまいので、ほんとは肉食動物用の野菜だ。

 

  食い物を栽培している。癒される。地面と命がつながっているような感じがするからかな。ある意味小宇宙だ。