昭和と聞いて思い浮かぶのは?

 

 昭和39年は1964年、その年に僕は生まれたのだった。この1964年は戦後のターニングポイントだったのではないかと思う。ゴジラ-1の山崎監督が三丁目の夕日の三作目として作ったのが1964というタイトルで、六ちゃん(梅ちゃん先生の堀北真希がやっていた)が結婚する話であった。茶川先生の家を淳之介が出てゆく話でもあった。山崎監督は僕とおんなじ1964生まれのようだ。東京オリンピックがあった。僕のペンネームでないほうの名前は東京五輪にちなんで父がつけた。

 

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 というわけで1964に生まれた僕は、観てきたことすべてがそのまま昭和の輝いてきたころだったという気がします。
 高度経済成長といわれていた。本宮の田舎からちょっと都会の新宮市にひっこしたら、トイレは水洗となり、やがてカラーテレビが買われ、電灯もかっこいいのげ玄関につき、つくりつけの電気代のど高いクーラーがお客さんがきたときだけつけるために応接間につき(つまりお父ちゃんは奮発した)、ウルトラマンから仮面ライダーに人気が移るころには、子供たちはライダースナックのオマケのカードを集めるためにお菓子をかって道路わきの溝にすてたりする時代(飽食だ)がきて、ああいうモラルのなさ環境破壊、食材の無駄なんてことも、いつしか世間が世間を監視する時代にもなって、菓子の空ビニールとか缶とかをそこらに捨てる人はほとんどいなくなった。そういうとこはいい進歩を遂げたような気もする。むかしはそこかしこにぽいポイ捨ててましたよ実際ガキどもが(大人もたぶん)。プラスチックは分解されないで残ってそこらへんをひどいことにするなんてことを知らなかったのでした最初のころの日本人はまじで。野グソなどがそこらにしてあったりもしたぐらいですから(ほんとですよ昭和の40年代くらいだと本宮の温泉旅館湯の峰荘のとこに裏山から登ってゆく道なんかにけっこう、どう見ても人糞が。観光客の仕業か)。
 
  1964から25年の1989に昭和は終わる。僕は24歳だった。子供時代から24歳そして少ししたらバブルがはじけたのだけれど、一番いい時代を僕らは生きさせてもらったということになる。まったく昭和は輝いていた。僕の知っている昭和は。僕の知る昭和の前何十年かには戦争があったわけなのに、僕らはそんなことを少しも知らないで育ったということになる。子供のころ、テレビのニュースがコバルト爆弾がどうのこうのばかり言っていたこと以外には。だからその裏に冷戦があり、ベトナムがあり、キングクリムゾンはエピタフを歌っていたのだった。