昨日、プレザンメゾンに住む母を訪ねて故郷新宮市の教会から神父さんと3人の女性たちが来てくれた。妹も名古屋から駆け付けた。

 

 往復12時間もかかる道のりを車ではるばるやってきて滞在1.5時間ほど。

何のためかというと、ご聖体拝領(注)を母にうけされるためなのであった。

 

 

  というわけで、老人ホームの一階の食堂(ここを施設の人はホールと呼んだ。たまにイベントもする。こないだは介護士さんたちが被り物をかぶってクリスマスパーティーをしてくれたのだった。)に座って、みなさんでお祈りをし、

 

  ---  キリストの体

 と神父さんが母にホスチアという(パンというよりはモナカの皮に近い)を渡し

 

 ーー アーメン

 といって母は長年そうしてきたことを、今となってもしっかりそのやりかたは覚えているので

 キリストの体となったそれをいただいた

 

  神父さんはカレン神父といっしょに新宮のカトリック教会を司牧しているやはりアイルランド人のジョー神父であって、カレン神父と同じように巨体なので、施設の人たちがちょっとなかなか見たことの無いカトリック信者の風習を興味深くみまもった。

 

 故郷から来てくれた、母にとってはまた長年のなじみの人たちに再会して、母の顔は笑顔に輝き、施設に人達も、その様子を喜んでくれた。

 

  ーーー 新宮におったときより元気やよ

 

と故郷の人たちもいう。この施設は11月にできたばかりで、姫路で一番いいとこですと、僕は説明した。新規オープンのとこに入ると友達ができやすいと聞き、ここにしたと付け加えた。家にいるのとちがって広いので歩行器で歩くことがしやすく、自然と背がピンとなって元気になったように見えると言われた。理療士の指導があって、そういうことをこころがけて生活リハビリということをやっているらしいですと、僕は言った。

 

  妻が持たせてくれた土産を一人一人に渡し、その短い滞在のあとその人たちはまた故郷に向けて長い運転の旅についた。

  

  ジョー神父はもう80になると言った。僕が侍者をしていた小学生のとき、神父さんは31だったのだけれど、僕も歳をとったと同じく、その31の青年だったアイルランドの巨体のひとは、ほとんどの人生の時間を日本で過ごして、神父さん自身が老人になっているのだが、相変わらずにやたらと元気で大きな声の神父さんだった。

 

 

(注)カトリックでは、ミサの中でキリストの体をいただく。イエスは、明日十字架にかかるという最期の晩餐のとき、弟子たちとともに食事をし、パンをとって、これが私の体である。これをとって食べなさいと言った。これにちなんで、ミサでは、神父さんが祈って聖変化させてキリストの体となったパンをいただく。そのパンの味も分子構造も、聖変化する前後で変わらないパンであり、それでもそれをいただく前に、カトリックの信者は罪を告白して、美しい心になっていただかなくてはならないのである。