1970年の映画、「ひまわり」が脚光を浴びている。ウクライナで撮影されたという。

 

 

 

 僕が中学生だった70年代半ばくらいには、和歌山県の中波のローカルラジオ局 和歌山放送で毎晩やっていた”電話リクエスト”の映画音楽専門の曜日で、よくこの映画の音楽がかかっていた。ソフィアローレンの顔を見て、姉が母に似ていると笑っていた。実はけっこう似ていた。母はまだ若かった。

 

  そのころは、今のようにビデオが買えたり借りれたり、アマゾンプライムで見れたりしなかったので、公開から何年かたってしまうと、運よくテレビでやってくれないかぎり、アナウンサー(和歌山放送の電リクのDJはアナがかわりばんこでやっていた)がどんなに素晴らしさを力説してくれても、音楽を聴くしかできないのであった。しかし、その不自由さがなつかしく、まだ父も元気に生きていたわけで、どことなく幸せな感触を今でも思い出せてしまう。僕は父に教えてもらって作った真空管のラジオで電リクを聴いていた。

 

  ひまわりの曲は、今聞くと、宮川 泰の宇宙戦艦ヤマトの中のいろんな曲に似ている。これはもう宮川泰が影響をうけたのであろうなあと思う。日本人なら本能的に反応してしまうメロメロにドラマチックである。

 

 

 作品の存在を知った中学生のころから、何十年もたって、昨年やっとアマプラだったかBSだったかで僕はこれを観た。ウクライナの問題が今のようになる少し前だった。

 

  物語の冒頭は、戦後復員してこない夫を待ち続けるソフィアローレンである。やつれて、夫の母とともに夫の帰りをずっと待っている。。。。 やがて話は、数年前にもどる。イタリアのバカップルの話である。この二人は、出会ってすぐ恋に落ち結婚する。このあたりの描写はひたすら愛し合いまくっているだけの恋人たちで、この人たち後先も考えないでどうなるんでしょうかねえ、というほどにおめでたい天然のバカップルの彼らなのである。兵役を逃れるために二人で芝居をして夫を精神病員に入れるが、嘘がバレて懲罰のためソ連の前線に送られるはめになる。(日独伊三国同盟とかいうものは連合国と戦っていたのであった。)。

 

  戦争が終わって何年たっても彼はもどらないので、ついにソフィアローレンはいてもたってもいられず、彼を最後に見たという人の言葉を手がかりに、ソ連に彼を探しにゆく。ここが戦場だったという一面のひまわり畑を、案内の人につられられて歩いていく姿が、美しく、悲しい。この下にたくさんの魂が眠っているという。彼はもう、生きていないのかもしれないという、受け入れられない考えを、抑えて彼女は彼を探し続ける。

 

  やがて、その旅の先に待っていたのは、死んでいた彼、よりももっと残酷な真実だった。。。。。

 

  今、またウクライナが戦地になってしまって、外国に難民として出ていく人があとをたたない。外国に住んでいたウクライナ人も戻れなくなった。外国にすむロシア人もまた祖国に帰らないという選択をする人が報じられる。この戦争は、結局人を分断し、哀しみを作り出してばかりいる。

 

  双方をプロパガンダだとののしることは、正義であるがゆえの暴力の肯定の論証の無限のループだ。ハイゼンベルグが著書「部分と全体」のなかで、ナチスの台頭するドイツにいて、どれが正義かわからなくなったとき、その判断の基準は、唱えている主義の正しさなどではなく、”やっていること”、どんな手段で彼らの理念を実現しようとしているか、によらねばならないと述べている。

 

 

  正しい戦争、というものは、存在しない、ということだ。