今朝は一番の冷え込みになるということだったが、早く起きたので、ゆっくり坐禅をした。長年片方の足を上げる結跏趺坐をやりすぎて僕の身体はバランスが悪い。和尚から、ときどき左右組み替えてやればいいと教わったが、もう長年やりすぎていたので、反対に組むと余計に足首が痛い。今朝はずいぶん時間があったので長く坐った。半跏趺坐で組み替えながらでいいかなと思ったのだが、やはり半跏趺坐というものはどうも安定が悪い。

 

 ふと久しぶりに少林窟で習ったやりかたを試そうと思った。20年以上前に、少林窟の井上希道老師のもと、この方法を教えてもらった。奇妙なことに、一呼吸するたびに左右に手をついて横後ろを見る。ゆっくりやる。床を見るとき、しっかり”見た”と意識すると、思考の流れがなぜか止まる。”雑念が切れる”と老師は言った。そして前を向いて一呼吸する。そのときも"切れる”。そうやってずっと呼吸しては右と左の横後ろを向いて床を見る。これなら半跏趺坐でも集中できる。

 

 老師は御自身が昔の事故で身体にいくらか後遺症があったので、これを考え出したと言った。そしてこの方法だと楽に思考を切ることができるということがわかり、指導に取り入れた。ということで、少林窟で坐禅する人は禅堂の中で、面壁(曹洞宗なので)して、ひたすら動いていた(今でも少林窟でこうやるかはわからない)。

 

 僕は一週間そこで坐禅し、それまで経験したことのなかった深みを見た。帰るときに老師に、”通身手眼”という言葉を表札の木に書いてもらい、今も持っている。この言葉は少林窟に掲げてあった書で、開山の飯田欓隠老大師の書だった。少林窟で坐禅をしていた間に、この言葉の意味がなにか体感でわかるように思え、この言葉を持って去ろうと思った。

 

 

 久しぶりに、この動く坐禅をした。とても、気持ちのよいものだった。終わると、ドアノブを握って回す瞬間にも、なにか深い意義でも感じられるようにすっきりしていた。