いつも茶礼をする部屋の奥に、和尚が寝ていた。
”和尚さん。流河さんが来ましたよ”
と奥様が呼びかけた。 和尚の様子は、本当に布団にへばりついて動けなくなっていて、普通に人が眠っているのと違う、なにか尋常でない”静寂””をかもしだしていた。僕は、その姿を見たとたんに、肉体から魂が離れていこうとする前に立ち会っていると感じ、思わず和尚のそばに寄っていき
”和尚。和尚のおかけで古い友(南嶺老師)にまた会うことができました”
と耳元で言うと涙が出てきた。和尚は、深い眠りの中にいたようであったのに、パッと目を開き、キラリと輝く暖かな目でこちらを見て言った。
”おお。横田南嶺も。頑張っているじゃないか。”
そう言うと、しばらくこちらを見つめていたが、やがて、すっと眠りに入ってってゆく。H医師に、”話しててよいのでしょうか”と聞くと、どうぞということだったので。私は、眠っているように見える和尚に言った。言葉が聞こえなくても、言いたいことを伝えられれば。
”和尚に、一度、宗教とは何ですか、て聞いた頃があるのですよ。すると、和尚は、
-------宗教とはね。坐禅をして心が穏やかになった人の集まりです。
って言ったんですよ。それを僕はずっと覚えているんです。”
和尚は、眠っているかのように見えるのに、僕の声がよく聞こえているようで、目をつむったままこう言った。
"そんなこと言ったかねえ。。。”
そしてしばらく間をおいて続けた。
”仏教というものは徹頭徹尾 己事究明。つまり己とは何かということを参究していくもの。それはゆるがないところだ。けれども”宗教”としての仏教となると、それがいつ始まったかということには、2つ説がある。一つは、釈迦が悟りを開いたとき。これは教えとしての仏教だね。そして、もう一つは、釈迦が最初の弟子となった5人に教えをといたとき。これは、”宗教”という集まりが始まったときだ。人は、一人で修行して生きていくこともできるけれど、こうして志を一つにする人が集まって切磋琢磨するということが、この5人への説法をしたときに始まったのだね。まあ、これがでかくなっちゃって宗教団体なんて言い出すと、また違った話になってくるんだけどね。”
奥様の言われたとおり、体は寝ているけれど、しっかりと博識の和尚の言葉が流れ出てくる。 僕は、一つ、疑問に思っていることをどうしても聞きたくなった。
”僕が初めてこちらにうかがって坐禅をさせていただいたとき、和尚は、
----私の伝えたいことは、全部これに書いてある
と言って、佐々木閑先生の”日々是修行”という本を紹介してくれたのです。それは、面白いことに、小乗仏教のことをすばらしいものと書いてありました(和尚の宗派である臨済宗は、大乗仏教とされているものですのに)。”
和尚は、やはり目を閉じているが、この会話が楽しいというような表情をして言った。
”ああ。小乗仏教というよりも、釈迦が伝えたもともとの仏教を、書いているんだよ(佐々木先生は)。”
花園大学教授 佐々木閑先生を、宝林寺に講師としてお招きして、勉強会を行うなど、
和尚は佐々木閑先生とも懇意にしておられた。
僕は、そこで一番聞きたいことを聞いてみた。
"釈迦が伝えたもともとの仏教て何ですか? 釈迦だって、ヒンズー教の教えにしたがって、瞑想して、ブラフマンであるとか、なにか宇宙の真理を求めていたのではないですか。それが仏教という新しい教えになったからといって、やはりこうして坐禅して、なにか真理をもとめてたりするではありませんか? いったい仏教は、どこが新しかったんでしょうか?"
和尚は目をつむったまま、さらに輝くような笑顔が、深く魂のそこから湧き上がってくるように、うれしい顔になりながら、楽しい声でまるで感動するように言った。
”何(なんに)も無い、ってことですよ!!
何かになってやろうなんていうのはね。ははは(といって優しく笑っている)。
---- 何も無い。それじゃ空しくならないか?って。この宇宙のもに、すべて何かになろうとしてなっているものなんてない。
今、肉体から魂が離れようとしているかに見えるこの人が、ひたすら安らかに、会話を心から楽しんでくれることは、たとえようもない愛と暖かさだった。”何もない”という世界が、どんなに明るく希望に満ちてるいるのかを、まるで体現しているかのように、和尚の笑みは深いところから泉のように湧き上がっていた。
僕はもう一つだけ話したいことが思い浮かび、
”僕はキリスト教徒ですが、ずっとキリスト教がよくわからないままで生きてきました。”
と言うと、和尚は、
”人間の長い歴史で残ってきた宗教なのだから、キリスト教にも深いものがあるはずでしょう。”
と答えた。僕は続けた。
”罪、ということを、キリスト教では言います。何故、罪、罪と言って人間を責めるのだろうと思っていました。しかし、最近気が付いたのですが、あれはアダムがリンゴを食べた罪なのですね。(最初からそう教えられていたのになぜか気が付かなかった。)そのリンゴのなってる樹の名前は、「善悪の智識の樹」だった。”
和尚はやはり目をつむったまま、かみしめるように、感動した様子で言った。
”それは、分別(ふんべつ)ということだ。。。 あああ。 おんなじなんだなあ。。”
僕は、ふと我に返り、少し長く話しをしすぎたことに気が付いた。和尚の体に障る。そろそろ切り上げなくては。
”和尚。おいとまさせていただきます。長く話してお体に障ります。もうしわけありません。”
すると、和尚は、ぱっと暖かな目を開いて、動かすのが大変な右手を、布団から出してきて、僕の手を握り、しっかりを目を見つめて、こう言った。
” また来てくださいよ。”
僕は、ありがとうございます。と言って、ふすまのところに、立ち、参禅のときに老師にするように三拝した。
この日は1月5日だった。和尚は、1週間後に、この寺を会場にして、展覧会を開催し、そこで法話をするご予定だった。その第一日目の晩は、パーティーをすると言い、僕も名古屋の学会を早々に引き上げて参加する予定だった。果たして、どうなるのだろう。
心配をしながら、宝林寺を後にした。(つづく。)