こんにちは
竹内佑佳です✨
私の中に長年あった母への思い込み
について書いていますシリーズの第3回目です。
そもそも母をどう思うか
好きだの嫌いだの言う前に
お母さんに存在を認識されていなかった私
なのですが
潜在意識のヒーリングをした直後に
母から電話がかかってきました。
「お父さんが腰痛になっちゃったみたいで」
「私も転んで股関節が痛いの」
なんていうことを母は話すわけです。
しばらく「そうなんだ~」って
聞いていましたが
「お父さんの腰痛に何か効果的なことってあるかしら?」とたずねてくる母
→私はリハビリの仕事をしているので、母は「ここが悪いんだけどどうしたらいいの?」ってよく聞いてきます。
しばらく話を聞いていた私は
運悪くこのタイミングで
トイレに行きたくなりました💦
「お母さんごめん💦トイレ行きたいから、
1回切るね」
私が突然こんなこと言ったので、言い方やタイミングが悪かったんだと思います。
「どうせあなたにとってどうでもいいんでしょ💥」「どうせ面倒なんでしょ」と電話口でキレる母。
トイレ行きたかったので「本当ごめん」と言って電話は切りました。
で思ったのが、
普段なら、
私がする行動は2種類
トイレに行くのを我慢してひたすら謝る。
or
とりあえず電話を切って、その後母に悪いことしたと罪悪感に駆られる。
このどちらかだと思うんです。
ですが今回は違って
電話を切った後に
「どうでもいいわけじゃなくて本当にトイレに行きたかった」
「父にはしばらく会っていないので、腰痛の原因が何かわからない」
「根本的な治療になるかどうかわからないけど、理学療法士監修のストレッチがあるから YouTube 送るね」
とラインで伝えました。
両親からはリアクションなし
華麗なるスルーでしたが、
私自身は出来ることはやったと自分責めはしないで済みました。
お母さんに存在を認識されていないと思っていたことで
別に悪い事していたわけではないのに
自分のことを過剰に責めていた
とはっきり気づきました。
「母に存在を認識されていない」が
私の中ではいつの間にか「私は存在する価値がない」になっていて
母に存在を認識されるには
母に役立つことをしなければいけないと思っていたのかもしれません。
実際がどうかは別として
私のやったことが母の役にたたなかったり、
私がしたことを母に否定されると
「私には価値がないんだ」「ダメなんだ」ともう絶望的な自分責めタイムになっていたわけです。
さらに「母=周囲の人、全ての人」と私の中で変換されていたこともあって、
人間関係で何か起こるたびに
私には常に罪悪感がありました。
ヒーリングして自分責めタイムは
少なくなりましたが
さらに少なくなったのには
もうひとつ気づきがありました。
続きます。