ベルリン3日目、最終日の今日は難民センターでのボランティア演奏。
午前中はゆっくりヨガをしたり、本を読んだり、音楽を聴いたりする。
午後から出発。ツアー中にボランティアで演奏する余裕あるかって聞かれた時にもちろんすぐOKしたけど「レフュジーセンター」(難民キャンプ、難民施設)というものが一体どういうものかまったく想像できていなかった。ニューヨークで生活していてネットで日本の情報を見ている人間にとって「難民」という言葉は身近ではない。ニュースで見る単語。どこか遠くの世界の出来事。そのぐらいの感覚の人がほとんどじゃないでしょうか。
メディアが報道する、しないに関わらず今現在もどこかで戦争が起きていて常に難民とカテゴライズされる行き場を失った人たちが少しでも安心できる生活を求め、ヨーロッパに流れる。特にドイツは難民の受け入れが多い。ここはベルリンの中心街から少し離れたところにある10階建ぐらいの古いアパートを解放しているような場所でした。シリアからだけではなく、アフガニスタンやアルバニアなどたくさんの国から集まった人々。そこでストロベリーフェスティバルなるイベントをやっていて、最初は外で演奏する予定が天気が悪いので急遽室内へ移動。普段このトリオが演奏しているちょっと複雑なオリジナルは少なめに、スタンダードが多めのセットで1時間半ほど演奏しました。

子供たちは演奏中じっと聴いているというよりは、ずっと音楽に合わせて踊ったり周りで走り回ったり笑顔で遊んでいた。大人はちょっと離れたところからチラチラ見る感じ。演奏中とかスマートフォンをいじったり話したりしてるけど曲が終わると笑顔で拍手してくれるのでまぁ聴いてくれていたのでしょう(笑)
彼らの生活に少しでも何かポジティブなものをもたらすことができたならそれで良いと思う。
もちろん様々なバックグラウンドの人間がいるので、楽しいだけではない経験だったことは確かです。他のボランティアの人達とも話したけど、施設にいる大半が『自分たちがドイツに受け入れてもらっている』というある程度の感謝の気持ちでそこにいるけどそうじゃない人もいるから、私たちが来てコミュニティールームみたいなところで演奏するのが単純に邪魔と思った人達ももちろんいたでしょう。実際何人かは演奏中頑なにずっとイヤフォンをしてスマートフォンを見つめていたし、中にはわざわざ別の音楽を流す人もいた。万人を喜ばすことなんて無理。むしろ「喜ばす」って態度がまず間違っているんだろうな。私は少しでも自分に何かできることがあればと思っていたけど、人によって必要なのは仕事、お金、戦争が終わること、故郷に帰ること、そんな中娯楽の入る場所なんかないのかもしれない。
とても難しい問題ですね。
数日過ごしてみてベルリンはとても興味深い街だというのが正直な感想です。観光客や若者が多く活気にあふれているのですが、常にどこか暗い。天気の良い日に公園で寝そべっていてもそう。暗いというか空気の重みがちょっと違う。これをベルリンに住んでいる友達やランスに言ってもそうかなぁって言っていたし、多分私ももっと長くいたら慣れてしまうのだと思うけど、この3日間どこにいても何をしてもずっとその感覚がつきまとっていた。多分それはベルリンという街が持つ歴史、人々の悲しみや苦しみが絶対まだどこかに残っているからだと思う。そんなネガティブなものを乗り越えようとするエネルギー、どことないアナーキーさ、ファンキーさ、そんな感情の混沌。この感覚はドイツの他の都市で感じることはなかった、不思議なもの。でもそれがベルリンという独特な街を作り上げ、たくさんのアーティストが移り住む理由の一つなのかもしれません。
明日はベルリンを離れ、ケルンへ移動します。