20050425尼崎JR脱線事故について
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201904/sp/0012273725.shtml

https://www.sankei.com/west/news/190425/wst1904250018-n1.html

私はいつか、事故現場にて黙祷を捧げたい。
と思っていました。

なぜかというと、
脱線事故当時の電車は、
2限目にいくのにピッタリの時間やったから、
同志社前行きを利用する学生も多くいました。
その当時、私は大学一回生でした。

事故当時の市長は、白井文さん。
私は約10年前、白井文さんが市長のときに尼崎市に入庁しました。

4年前は選挙期間中でした。

議員になってから、
市長を勇退された白井文さんの講演会で、この事故の話を拝聴しました。

今回、初めて、事故現場へ伺う機会が訪れました。

9時18分に黙祷をして、献花をさせていただきました。
その後、この件を通して様々に運動をされています藤崎光子さんにお会いして、事故現場の見学や昨年にできた祈りの杜をご案内していただきました。

この事故現場の整備が、事故の記憶の風化につながることのないように、被害者により添い、リスク管理と労働者の労働環境を整えて欲しいと改めて願い、
また、私たち国民一人一人が、この事故に寄り添い、
正しい情報を聞き、その情報を伝えること。
そして、社会を変える運動としていくことの必要性を感じました。
組織罰の創設について、署名をしてきました。

また、この件だけでなく、
様々な葛藤を持つ方々に寄り添い、制度や社会を変えるためには、声を上げ、それを拾い上げる社会づくりの大切さを感じました。

私にできることからしていきたい。