こんにちは

結城あすかです


今更ですが、私の紹介をさせてくださいね。


いったい何をしているのか?

不思議に思われる方もいらっしゃると思いますので、少し長いですが、読んでいただけると嬉しいですキラキラ



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「毒ファミリー育ちだった私が人生を取り戻すまで」


奈良県に生まれ、10歳で両親が離婚するまで祖父母に育てられる時期もあったりと、複雑な家庭環境で育ちました。



最終的には母に引き取られ、10年間過干渉の母と2人だけの生活を過ごします。



例えば中学時代、私はバスケットボール部に入っていました。

冬は夕方5時ごろになるともう暗くなります。



母は「女の子をこんなに暗くなるまで帰らせないなんて!」



と学校に怒鳴り込み先生にクレーム。

それ以来私は部活の途中でも1人先に帰らされることになります。



そんな環境なので高校は帰宅部でした。



また短大卒業間近のある日、今度は親戚の男性との縁談を持って来て承諾しろと。



それは母の目の届く範囲に私を置いておきたかったから、という理由でした。



「嫌だ」と言うと、「はい」と言うまで寝かせてくれない。

それが続き、とうとう根負け。



私は子どもの頃から母に逆らったことがないので(ある理由があって)この時も渋々納得させられました。



その後、この話は私の知らないうちにうやむやに消えてしまったので、(親戚の大人たちの間で何かあったに違いない)この時に、家を出ようと一大決心!



就職を理由にすれば穏便に家から出られると思い、

そうだ、CAになろう!とチャレンジ。

ラッキーなことに21才で東亞国内航空に入社できました。



それから6年間、伊丹空港勤務で女子寮に入り、遅くやって来た青春を楽しんだ後、パイロットと結婚!…にはならず、



空港で知り合った男性と結婚。



結婚の後は仕事を辞め、転勤族の夫と4人の子供の世話のため約20年間、専業主婦として過ごすことになります。



振り返ると今でこそ働かずに家庭のことに専念できたことに感謝できますが、それは今だから言えることで…



当時はインターネットも携帯もなく、家庭に入ると社会から全く切り離されるので、カゴの中の鳥にでもなったような気分。



夫は年月と共に会社の中で少しずつ役職が上がっていき、それに伴い、いつの間にか私も妻ではなく部下になっていきました。



朝起きるとまた1日が始まるのかとため息をつく、そんな毎日が続いていました。



子どもたちは4人生まれましたが、上の子といちばん下の子は6才しか離れておらず、その間に2人生まれたので、ほとんど年子を育てるようなもので、忙し過ぎる毎日でした。



おまけに次男と三男は喘息持ちで、夜中に病院に駆け込むことも何度か。



その間次男は紫斑病と肺炎で入院し、夫も肝臓で入院したりと、怒涛の20年でしたが、その間も母にはいっさい知らせず、友人や知人の手を借りて乗り切りました。



母に知らせるのはいつも物事が落ち着いてからでした。

手伝ってもらおうとしたら返って問題が複雑化し、とんでもないことになるのは目に見えるからです。



そんな日々なので私の30代は忙し過ぎて、何をしていたのか、ほとんど記憶にありません。



あっという間に時は流れた、と言うのは簡単で、

時に忘れられたような子育て期でした。



20年近い専業主婦に終止符を打つことになったのは、「お前に何ができる」の夫の言葉がきっかけ。



それで50歳で週に2日、近くのブティクに勤めることになりました。



それと同時期に月刊誌の読者モデルに応募したところまたまたラッキーなことに採用され、50歳の読者モデルに!



顔のマッサージやウィッグ体験、痩せて見える服のコーディネートなどの記事に出たりしました。




ブティクの方は週2だった仕事も週3、週4と増えていき、結局10年間ブティック勤めの仕事をすることになりましたが、



10年目にお店が閉店することになったので次はどうしましょ?



その時まで生活に合わせてパートの仕事をしていただけの私の職歴。



この時私は60歳でした。まだ60歳と考えるか?いや、まだまだ60歳!



そうだ、私は着物の仕事がしたかった、着物講師の資格も持っていたんだ、とまたまた一念発起!



そして和装小物、着物販売、着物着付け、を経た後、SNSで見つけた「着物の立ち居振る舞い」の講師になることにしました。



それと同時にブログを始めたところ、見てくださった海外の方からもお申し込みが続きました。



この頃は楽しい時期でしたが、コロナが始まり、対面での講座が出来なくなりました。

そんな折り、今度は母が倒れ自宅介護が始まりました。



ありがたい事に親戚がヘルパーさんの派遣会社をしていたので、できる限り地域や皆さんにお願いし、私は時々実家に帰る、という形を取りました。



そんな時に私は「一冊の本」と、本当の自分に気付かせてくれた「数秘」に出合うことになります。

これが私の生き方を大きく変えることになりましたキラキラ



母を含め、母の親戚一同変わった人たちだと思っていましたが、まさか自分が毒ファミリー育ちだったとは…



毒親のみならず、毒叔父、毒叔母に囲まれた子ども時代を過ごしてきたこと。

これまでの生き辛さの原因がそこにあったことがやっと理解できました。



毒親でも子どもは親が好きです。

何をされ、何を言われても、許したいという気持ちがあるのです。



私は母から離れ自分で人生を切り開いていこうと決め、家を出ましたが、そこには解放感はなく、罪悪感が加わりました。



何十年もの間、その感情に苦しめられたのです。



そして一冊の本と数秘、この二つに出合い、60代半ばにして、やっと自分に



「今までよく頑張ったね、もう頑張らなくてもいいよ。お疲れ様。」と心から言ってあげることができたのです。



ずいぶん回り道をしましたが、私がずっと伝えたかったことが何か、それは



これまで自分の感情を抑えて、我慢して、自分を後回しにして生きてきた女性に、



もう誰にも遠慮せず、これからは自分の望む人生を創っていきましょ。

第二の人生は後悔しない人生にしようね。

たった一回の人生なんだから。



と伝えること。それがこれからの私の楽しみであり、使命だと。



今日の日が

あなたにも私にも

美しい日でありますように


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